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Abstract
現在,安世高訳経の全面的再検討が要求されている.イタリヤ学者のZacchetti(2006b)によって『陰持入経』(T603)はパーリ蔵外文献のPetakopadesa『蔵釈』第六章(Suttatthasamuccayabhumi)のほぼ完全な漢訳だと発見された.とりわけ,梶浦晋と落合俊典による調査によって三つの新しい安世高訳経が確認された(『金剛寺一切経の基礎的研究と新出仏典の研究』).これらの発見は安世高訳経の解明には大変役に立っている.しかし,安世高訳経はいくつあるのかに関して経録には未だ不明の箇所が多い.本稿ではこれらの研究成果を踏まえて安世高訳経を改めて検討することにする.『罵意経』(T732)は『僧祐録』の「失訳雑経録」に納められているが,林屋友次郎(1938)の研究によると,安世高訳に近い,と論述された.また,『法観経』(T611)は『罵意経』と同じ,『僧祐録』の「失訳雑経録」に納められているが,なぜ智昇に至って竺法護訳と確認されたのかは不明である.本論文はそれらの疑問点を分析し,『罵意経』と『法観経』とを安世高の訳経だと仮説し,検討することにする.『罵意経』には安世高の訳語が多数見られる.『法観経』は全部で五つの段落に分けられ,そのうちの四つの内容がほぼ『罵意経』と一致し,残りの最初の段落にも多く安世高の訳語が見られる.これらの証拠からみると,『法観経』は竺法護訳ではなく,安世高によって"口解"したものだと思われる.
Journal
- Journal of Indian and Buddhist studies [Journal Detail]
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印度學佛教學研究 55(3) pp.1150-1155 20070325 [Index]
The Japanese Association of Indian and Buddhist Studies