我が国における医真菌学の歩み:病理学領域

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  • The progress of medical mycology in Japan: pathology

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抄録

日本医真菌学会が創立されたのが1956年10月で、翌1957年12月に第1回日本医真菌学会総会が開催された。その前後の時代における本邦病理学領域での真菌症への対応や私の症例経験等を振り返ってみたい。日本病理学会における真菌症に関する最初の報告は、三田村篤四郎 (1914)による「肝臓膿瘍内に発見された1種のストレプトトリックスに就いて」である。1930年11月、東京駅で暴漢に腹部を撃たれた浜口雄幸首相は、翌年8月腹部放線菌症で逝去された。1950年頃迄に病理学領域で報告された真菌症の殆どは放線菌症であったが、肺アスペルギルス症 (1939)や播種性スポロトリコーシス(1942)、中枢神経系の醸母菌病 (1943)および内臓醸母菌症(1943)の報告も行われていた。現時点で最も関心を集めている内臓の日和見真菌感染が相次いで報告されるようになったのは1952年以降のことである。東大病理学教室の研究生であった私は1952年春、東大病院では最初のカンジダ症例の病理解剖を担当した。これが内臓真菌症との邂逅であった。PAS染色はまだ導入されておらず、病巣内真菌の検出には大変苦労した。同年に組織された文部省総合研究「糸状菌症班、1952∼1954(班長:高橋吉定教授)」に班員として参加された三宅仁教授のご指示により、この症例を班会議で報告し、その後、明治以来の教室剖検例に記載されている内臓の真菌感染病変を抽出して、その集計を行った。1953年3月、ビキニ環礁での水爆実験に遭遇、被爆された第五福龍丸無線長の久保山愛吉氏が、同年9月に国立東京第1病院で逝去された。同病院病理部長の要請を受けて病理解剖の応援に行かれた三宅教授の指示で私は培養検査を行い、肺炎病巣から純培養状態で分離したのが Aspergillus fumigatus 久保山株である。空中雑菌の可能性を否定するために、病原性が強い Candida を対照として家兎への感染実験を行い、Candida より強い病原性があることを確認した。感染病巣標本の観察から、CandidaAspergi1lus は組織学的に鑑別可能と考え、その旨を糸状菌症班で報告した。私の主張は笑い飛ばされてしまったが、その所見を急いで発表した(1955)。その報告が誤りでないことを自ら証明したいという思いが、無医村の医師になりたいという本来の夢を忘れさせ、その後における内臓真菌症との長い、深い関わりあいを持つ転機となった。参考書が殆どなかった時代には、糸状菌症班ならびにカンジダ症班 (1955_から_1957、班長:堂野前維摩郷教授)の班員の先生方から、また、本学会の遇去50年間に多くの先生方から私はご教示、ご鞭燵とご支援を受けた。研究には研究者の連繋がいかに重要なことか、今でもしみじみと感じている。お世話になった方々への感謝を込めて想い出を述べてみたい。

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