同笵軒瓦からみた大和横井廃寺の性格と造営氏族

書誌事項

タイトル別名
  • ドウハンノキガワラ カラ ミタ ヤマト ヨコイ ハイジ ノ セイカク ト ゾウエイ シゾク
  • ドウハン ノキガワラ カラ ミタ ヤマト ヨコイ ハイジ ノ セイカク ト ゾウエン シゾク
  • The Founder of the Temple at Yokoi as Seen from Duplicate Eaves Tiles

この論文をさがす

抄録

type:Departmental Bulletin Paper

奈良盆地の東北部、春日山麓の西側一帯は古代には和邇系氏族が本拠地としたところである。この春日山の西麓にあたる奈良市藤原台の東端部にある横井廃寺は、飛鳥時代に造営された古代寺院である。この廃寺は早くから金銅観世音菩薩像や瓦類が出土したことから古代寺院としてよく知られているが、これまで十分な調査が行われることがないままに今日に至っている。この廃寺の創建瓦には奥山久米寺式軒瓦が葺かれている。しかも、創建時の軒瓦を製作した瓦当箔は、近年に平城京域の南端近くで新たに見つかった飛鳥時代の寺院である煙寺廃寺に移動し、さらに、この瓦当箔は再び横井廃寺に戻されてこの寺院の軒瓦が生産されたことが箔の損傷部分の確認によって明らかにされている。小稿では、この横井廃寺から出土したいくつかの同箔瓦が、どのような関連によってこの廃寺にもたらされたかを検討することによって、この氏寺の造営を行ったと想定される和邇系氏族の大宅氏の7世紀代の動向を少し探ってみることにした。そして、創建期に葺かれた奥山久米寺式軒瓦が境部臣雄摩侶と大宅臣軍(いくさ)との関係によって導入された可能性が高いものと推測した。

identifier:滋賀大学教育学部紀要, II, 人文科学・社会科学, 第49号, pp.65-80

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ