伊吹島アクセントに重大な疑問

この論文をさがす

抄録

香川県伊吹島方言は昭和41年の和田実の報告以来,1200年前のアクセント(以下アと略)を保つものとして学界の定評を成している。山口は当時その検証調査によって,その事実を追認したものとして責任がある。山口,名倉は,平成12,13年の調査で,その疑問が明らかなものとして,その反省を述べる。疑問点は,方言ア研究上異例の,言語外事実とのギャップにある。すなわち,燧灘海中の伊吹島は人口定住400年の地で,そこに1200年前のアを認めるのは不自然である。400年前無人島だったことに論議の余地はない。島の生活は少雨地帯で知られる瀬戸内海にあっても,とりわけ,全島岩盤で川も湧き水もなく,飲料水は,地中の岩盤に穿鑿した貯水槽の天水に依存して来た。このとき言語学が,人間の存続に関わる水や人口の問題を,言語外事実ゆえ取り上げるべきでないと済ませて超然とすることは,大仰に言って言語学そのものに関わる問題である。本発表では,伊吹島のアを,純粋に言語的(言語地理学,社会言語学)に次のように考察する。(1)そもそも,伊吹島アに見られる「二拍名詞類別体系(五つの区別)」は,平安時代「類聚名義抄」と同一のものであるにしても,音調そのものが同質のものかどうかに疑問がある。(2)徳川宗賢によって系統樹的方言変化シミュレーション「系譜論」で「類聚名義抄五つの区別」が頂点に据えられ,類別は,「統合することはあっても分裂することはない」というテーゼによって,諸方言の類別体系が考古学の地層のような年代測定に利用されることの是非。(3)伊吹島二拍名詞3類における「下降調」を,「日本祖語」の音調と比定することの是非。それらすべてに疑問を提出し,代わって伊吹島アが香川県の讃岐式ア,愛媛・阪神の京阪式ア,岡山・愛媛の東京式アすべての接点にあるという言語地理的背景ゆえの交流接触,それに加えて,伊吹島の江戸時代以降の阪神方面との関係(組織的な西宮灘の宮水運搬,泉佐野市方面への出漁),大正昭和の漁業振興に伴う異常な人口増大(転入)とともに当アが混淆成立したとする社会言語学的解釈を述べた。

収録刊行物

  • 國語學

    國語學 52 (3), 100-101, 2001-09-29

    日本語学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1571135652075404544
  • NII論文ID
    110002533762
  • NII書誌ID
    AN00087800
  • ISSN
    04913337
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • CiNii Articles

問題の指摘

ページトップへ