十六世紀後半のイタリアの抒情的文学 : デ・サンクティスの「文学史」を中心として  [in Japanese] Ietteratura lirica italiana della seconda meta del Cinquecento  [in Japanese]

Abstract

一、十六世紀後半のイタリア及びその文学の一般的傾向 デ・サンクティスは十六世紀後半を指して云う。<それはヨーロッパの諸大国が安定した秩序を得て、それぞれにマキャベッリのいう「祖国(パトリア)」を、すなわち宗教的、倫理的、民族的観念でもって強化され、結合された政治的統一を樹立した時代であった。そしてそれはまたイタリアが祖国というものを樹立出来なかったばかりか、全くその独立を、その自由を、世界史におけるその第一等の地位を失った時代でもあった>と。十五世紀末のフランス王シャルル八世のイタリア侵冦以来、半世紀にわたって外国勢力の介入がもたらした騒乱に疲弊しきったイタリアは十六世紀後半になってようやくスペイン-法王統治のもとに一応の平隠を得た。そしてイタリアは、このような外国勢力の支配によるものであれ、ようやく訪れた平和に満足し、上述のような破局についての国民的意識を持たなかった。その間に法王庁もアルプスのかなたに生じた宗教改革の波に対抗しようと、ダンテから「娼婦」呼ばわりされ、ペトラルカから「バビロン」と称され、またプロテスタント側からの恰好の攻撃目標であったその放埓と醜態を改めるべく、トレント宗教会議(一五四四-六三)により、習俗の放縦を一掃し、あわせて法王権の強化をはかり、宗教裁判所を設置して、異端思想を取り締った。いわゆる反動宗教改革である。<トレント宗教会議は単に宗教的結果のみでなく、政治的結果をもたらした。>すなわち、封建的特権と自治都市(コムーネ)的自由の廃墟の上に立った絶対君主制を正統化、神聖視することがこの宗教会議により結果されたのである。教権と世俗権とは共に手を相いたずさえ、絶対君主制は聖職者制度を真似て、その身分、官職制を整え、共に人民の受動的服従をその存立の基盤とした。<玉座と祭壇とは共に犯すべからず、また批判すべからざるものであった。>続けてデ・サンクティスはいう、<しかし権威や信仰は強制し得ないものである。そしてイタリアにおいて道徳と同じく信仰も容易には取り戻せなかった。したがって結果されたものは偽善、つまり良心に背いて形式に従うということであった。>だがひとたび芽生えた自由な思索活動の伝統は異端審問によっても完全に抹消することは出来ず、イタリアは、例えばソチーノ、ブルーノ、カンパネッラ、そしてやがてはガリレオへと続く栄誉ある迫害者の系譜を生むのである。しかし彼らの思想的殉教は結局イタリア精神に深く根をおろすことなく終ってしまうのであり、大勢としてはやはりイタリア精神は異端審問的雰囲気の中で窒息してしまった。そしてトレント宗教会議が強圧的に信仰を回復しようとしても、そのかけ声に形式的に従うのみで、ついにはイタリア人は宗教的情熱を取り戻すには至らなかった。なぜなら<イタリア人の不信仰はいかなる権威も認めようとはせず、検討の自由を主張するすでに成熟した自由な理性>に根ざすものであったからである。イタリアで宗教改革の運動が国民的なものとならなかった事を、イタリア人の不信仰という理由で簡単にかたずけることは出来ない。イタリアの知性は、ルターやカルヴァンの宗教理論よりはるかに進んだものであったからである。デ・サンクティスはソチーノを挙げてそれを例証する。<(すでに)ソチーノはルターやメランヒトンやカルヴァン……から一歩出て、唯一の権能としての理性を主張し、全ゆる超自然的要素を否定し、自由意志における人間を宇宙の中心とし、神の全能と予定説とを否定>さえしていたのである。ソチーノを見るまでもなく、前世紀に熱烈に宗教改革を唱えたサヴォナローラ一派に対して「泣き虫信徒」なる名をたてまつって痛烈に疲肉ったフィレンツェ人の洒落っ気を見るがいい。こうした考えはクローチェにも見られるようであり、彼は16世紀イタリアの頽廃を宗教改革を受け入れなかった故とする理由に反論して、ルター、カルヴァンの外国の知性よりもイタリアの知性は数段すぐれていたのであり、サヴォナローラの運動もまた当時のイタリアの知性から見れば逆行であった、というような趣旨のことを述べている。それはともかく、一般的に云えば、イタリア精神は不信仰で懐疑的なものを内包しつつ、スペイン-法王治下において仮面をかぶった生活に甘んじ、猫をかぶって、無気力裡に服従していた。そして、外国勢力の支配下で、自国の文化的優越にわずかに憂さをはらし、また他国のナショナリズム的傾向に一人反して、法王権の新たな輝きに、一面において、内心満足し、ローマ中心の「世界的、カトリック的国家」を夢想するコスモポリタニスムに酔っていた。デ・サンクティスは十六世紀後半のイタリア精神を述べて、こう結ぶ、<(そこでは)古い理念はもはや素直に信じられてはいなかったが、国民的自覚を形成し、気質を活気ずける新しい理

Questo articolo e scritto, adattando l' opinione del De Sanctis espressa nella sua "Storia della letteratura italiana", per lo scopo di dare la concezione sulla letteratura italiana della seconda meta del cinquecento, di cui studi non sono ancora sufficenti nel Giappone. L' articolo si puo riassumere come segue : 1)Nella seconda meta del cinquecento, lo spirito italiano era soffocato sotto l' atmosfera dell' Inquisizione, derivandone la stagnazione delle idee, e nella letteratura predominava il formalismo. 2)Fu sotto quest' atmosfera che il Tasso scrisse la "Gerusalemme". Il Tasso voleva fare un' epica, un poema eroico e religioso, rispondendo alla richiesta di quei tempi, cioe a quella della ristaurazione del cattolicesimo, e scrivendola, diede la cura alla semplicita e l' unita della composizione, alla verosimilita, alla dignita dello stile ecc, elementi superficiali e formali considerati indispensabili, in quei tempi, ad un poema epico. Ma si puo dire che egli ha fallito in tutti questi sforzi. E percio, l' essenza della "Gerusalemme" non si puo trovarla in questi elementi epici. 3)Come e gia detto, l' intenzione del Tasso era scrivere un poema eroico e religioso. Ma la sua religiosita era, come quella dei suoi contemporanei, superficiale e esteriore, e inoltre, il suo carattere non era eroico ma lirico e meditativo. In conseguenza, risulta il fatto che sotto il velo di un poema religioso e eroico, apparisce un mondo lirico, dal quale e costruito l' essenza e il valore di questo poema. 4)Questo elemento lirico che si trova nella "Gerusalmme" mescolato con altri elementi apparisce puramente "Aminta". L' "Aminta" appartiene al genere che si chiama i drammi pastrali, ma i drammi pastrali non si devono considerare come drammi ma comeuna specie di poema lirico. Anche nel "Pastor fido" del Guarini, uno dei capolavori di questo genere, l' interesse e tutto nella narrazione lirica e musicale. Questa tendenza lirica e musicale della letteratura che si puo vedere nella "Gerusalemme" e sopratutto nei drammi pastrali, si sviluppa, nel seicento, al melodramma e anche fino all' opera, e infine, la letteratura cede il suo posto alla musica.....

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Studi Italici   [List of Volumes]

Studi Italici (14), 71-93, 1966-01-20  [Table of Contents]

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Codes

  • NII Article ID (NAID) :
    110002959021
  • NII NACSIS-CAT ID (NCID) :
    AN00015107
  • Text Lang :
    JPN
  • ISSN :
    03872947
  • NDL Article ID :
    820882
  • NDL Source Classification :
    ZV1(一般学術誌--一般学術誌・大学紀要) // ZG85(歴史・地理--ヨーロッパ--イタリア)
  • NDL Call No. :
    Z22-124
  • Databases :
    NDL  NII-ELS 

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