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Abstract
『倶舎論』における「問記」(prasna-vyakarapa),即ち問答に関する記述は,先行する『阿毘達磨大毘婆沙論』(以下『婆沙論』)の議論に基づくと思われる部分があるが,四種ある問記中,内容的に「無記」と重なる「捨置記」の解釈は両論書で異なる.この差異の意味を,問記の構造と記述中に見える「諂心」(satha,gyon can)という語の具体的な意味を検討することによって考察したい.「諂心」(sathasya)は「悩ませる意図を持った質問者」(vihetanabhiprayasya prastur)と註釈され,そのような心が無い「直心」と対で使用されている.この語を取り上げるのは,解答者を騙す・悩ますような意図を持った質問者がその意図を達成するためには,質問者が解答者の解答を予想している必要があり,質問者像の差異が解釈の差異を生むと考えられるからである.以下,『倶舎論』「随眠品」及び「破我品」,『婆沙論』の該当個所を検討する.
Journal
- Journal of Indian and Buddhist studies [List of Volumes]
-
Journal of Indian and Buddhist studies 56(1), 378-375, 2007-12-20 [Table of Contents]
The Japanese Association of Indian and Buddhist Studies
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