『増壹阿含經』における舎利,舎利供養,仏塔

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  • Relics, Relic Worship and Stupas in the Chinese Translation of the Ekottarika-agama

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抄録

本論文は,インドまたは中央アジアにおけるEkottarika-agamaの一ヴァージョンから見た,舎利と仏塔について論じるものである.このヴァージョンは漢訳のみに残されており,四世紀に翻訳されている.この漢訳『増壹阿含經』は,パーリ聖典のAnguttara-nikayaに対応するとされているが,内容の上で両者の相違点は共通点よりはるかに多い.本論文では,『増壹阿含經』が舎利と仏塔について言及したいくつかの箇所を検討していくが,これらは二つの例外を除いて,パーリ聖典にパラレルな記述がみられない.多くの仏典と同様に,『増壹阿含經』の中には僧伽における慣例が記述されている.以下に見るように,舎利と仏塔の存在は,本経典が属したであろう部派の僧伽の中で重要な役割を果たしていたように見える.現在知られている阿含(またはニカーヤ)経典の中で,仏塔建立の「梵福(梵天に生まれる功徳)」を説いているのは,この『増壹阿含經』のみである.なお,このトピックは,アビダルマ文献でも論じられており,『増壹阿含經』とアビダルマ文献との関係性が連想される.この他,『増壹阿含經』では,仏塔を管理し,清掃することの功徳が説かれ,また,仏塔を破壊するものは阿鼻地獄に堕ちると説かれている.さらに,未来仏の弥勒の言として,舎利供養が弥勒の下生する未来に生まれる因となることが述べられている.興味深いのは,他の阿含(またはニカーヤ)経典には見られない,地・水・火・風・金剛輪のコスモロジーが本経典の中で示され,そこで,過去仏たちの舎利が金剛輪の間に存在していると述べている点である.過去仏や仏弟子たち(舎利弗や大愛道など)の涅槃の物語を説く様々な経典が,仏塔,舎利,舎利供養の関係を描いているが,『増壹阿含經』では,仏陀自身が舎利弗や大愛道の舎利を管理したとする記述がある点も,興味深い.また,本経典には,ある王子が出家をし,仏陀となり,般涅槃し,その後,父王がその舎利を祀る仏塔をたて,供養をしたという,三つヴァージョンの似通った物語が伝えられている.以上の用例から,伝承の中,あるいは教義の上で,『増壹阿含經』の保持者たちが,舎利と仏塔に重要性を見いだしていたことは,疑いの余地がないといえる.

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