杉浦重剛における伝統と近代科学 : 高島嘉右衛門の易に対する理解をめぐって

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書誌事項

タイトル別名
  • Tradition and Modern Science in Sugiura Shigetake : Referring to His Understanding of Ideas of the I Ching
  • スギウラ シゲタケ ニオケル デントウ ト キンダイ カガク : タカシマ カエモン ノ エキ ニタイスル リカイ オ メグッテ
  • スギウラ シゲタケ ニ オケル デントウ ト キンダイ カガク タカシマ カエモン ノ イ ニ タイスル リカイ オ メグッテ

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抄録

明治二十年代に活躍した杉浦重剛(一八五五―一九二四)は、明治思想界における第二世代を代表する人物である。この世代は西洋思想と伝統的東洋思想の接続と調停を歴史的課題としてひきうけたといわれ、西洋思想にひたすら忠実であろうとした第一世代と比べ、彼らの思想は往々にしてわかりにくく、その西洋理解がむしろ退歩しているようにさえみえるとされる。杉浦も、イギリスで学んだ最先端の自然科学を、伝統的漢学と統合するような独特な思想(理学宗)を提唱する。特に易が重視されるが、その意義は現代的視点からは見えにくいものである。また易への着眼には、明治前期を代表する実業家でありながら易者としても知られる高島嘉右衛門(一八三二―一九一四)との交流が大きく与っているが、この側面は杉浦の思想の研究において看過されてきた。本稿では、「理学宗」という思想の再検討にあたり、高島の存在を東洋的伝統への接点として捉える。とりわけ西洋科学の移入の歴史における日本人の科学理解に着目しながら、杉浦の科学と易の接続と調停のあり方を検討する。これを通じて、杉浦の思想の理解を新たな視点から深めるとともに、易なるものが、当時において「科学」と連続的な理解がなされていたことを示し、こうした理解を媒介にして「科学」や「宗教」といった近代的概念の咀嚼が積み重ねられた経緯の一端をも提示した。

収録刊行物

  • 一橋社会科学

    一橋社会科学 7 157-183, 2009-08

    一橋大学大学院社会学研究科

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