バッティによるAstadhyayi 2.3.17の解釈

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  • Bhatti on Astadhyayi 2.3.17

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抄録

バッティが著した『バッティカーヴィア』(Bhk)は,ラーマ物語を描写すると同時にパーニニの文法規則を例証し,それによってパーニニ文法学を教示することを企図した作品である.川村[2013]で示したように,バッティが各文法規則に対して展開されるパタンジャリの議論を熟知していたことは疑いようがないが,彼は各規則を例証する際に必ずしもパタンジャリの解釈に従うわけではない.バッティはA2.3.17 manyakarmany anadare vibhasapranisuを例証するために,BhK 8.99においてtrnaya matva tah(「彼女達を藁だと考えて」)という表現を使用しており,このことは,彼がパタンジャリのA 2.3.17解釈に従っていないことを示している.パタンジャリによれば,A2.3.17中のanadaraという語は「単なる侮蔑」ではなく「激しい侮蔑」を意味するものとして解釈されるべきである.そして激しい侮蔑は,肯定文ではなく否定文,例えばna tva trnaya manye(「私はお前を藁だとも思わない」)のような文のみから理解される.「激しい侮蔑」を理解させる否定文のみがA 2.3.17の適用領域である.A 2.3.17中のanadaraという語は「単なる侮蔑」と「激しい侮蔑」のどちらも意味し得るから,その限りにおいてはバッティの表現も確かに成立し得る.しかし,パタンジャリの解釈に従っていないバッティの表現をバッティ以後のパーニニ文法家達がA 2.3.17の例として受け入れることはない.何故バッティはそのような表現を使用したのであろうか.この問題に対する手がかりを,我々は彼と同時代かかなり近い時代に活躍したと考えられるマーガとダンディンの作品中に見出すことができる.興味深いことに彼らもバッティと同種の表現を使用しているのである.パタンジャリが当時のモデルスピーカー達の実際の言語運用を観察して否定文のみをA 2.3.17の適用例として認めたのと同様,バッティも彼の時代の詩人達の言語慣習を考慮に入れて肯定文をA 2.3.17の適用例として提示したと考えられる.

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