わが国における「選挙権論」の規範主義的貧困は克服されたのか?

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タイトル別名
  • Ist die normative Armut der Theorien des Wahlrechts in Japan überwunden?
  • ワガクニ ニ オケル 「 センキョケンロン 」 ノ キハン シュギテキ ヒンコン ワ コクフク サレタ ノ カ?

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抄録

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本稿は、長尾一紘先生に捧げられる。先生からは、博士課程前期課程・後期課程にわたり、わたしの副指導教授として独語文献講読の手解きを受けた。本来ならば、退職記念号に本稿を掲載すべきところ、諸般の事情で先生の学恩に報いることができなかった。  本稿の目的は、長尾先生によって二〇年前に提起されたわが国の「憲法問題としての選挙権論は、 極度の理論的停滞のなかにある」という指摘に対して、その後のわが国の憲法学者が充分に応えてきたかを検討するものである。その前提として、わが国においては「機能法的アプローチ」(実は、この「機能法的なアプローチ」についてはわが国においては充分議論されているわけではない)が支流となり、「法的構造論的アプローチ」が看過されてきたという傾向を確認しておかなければならない。先生は、これを選挙権学説の「規範主義の貧困」と名付けた。  この「法的構造論的アプローチ」がドイツに由来する以上、まずはM.ザックスやR.アレクシーの理論を前提とした上で、W.へーブリングの理論を結節点とし、従来の議論である辻村みよ子理論等と、それ以降の石川健治理論を対蹠的に検討して、その偏差を明らかにする。最後に、選挙権論においても「見えない鉱脈」が見出せるのではないかということを提起する。

収録刊行物

  • 法学新報

    法学新報 121 (5・6), 311-332, 2014-10-31

    法学新報編集委員会

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