『氾濫』における「妻」「女」「家庭」 : 関係における恣意性の排除(<特集>フェミニズム批評の可能性)

書誌事項

タイトル別名
  • "Wife," "Woman," and "Home" in Hanran (Flooding) : The Exclusion of the Arbitrariness in the Man and Wife Relationship(<Feature Articles>The Possibility of Criticism on Feminism)
  • 『氾濫』における「妻」「女」「家庭」--関係における恣意性の排除
  • ハンラン ニ オケル ツマ オンナ カ

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抄録

伊藤整の戦後の作品『氾濫』に登場する男性にとっての「妻」とは「家庭」を維持する主婦であり、自己の分身であって、だから自己の存在の根たりうるのだが、同時に、その他者性を排除してしまうために家庭外に「女」を求めざるをえなくなる。この「女」の他者性もまた、同化への欲望を生み出す限りで求められる。このようなナルシスティックな感性は戦後(広く言えば日本の近代化)の家族の再編成の過程で必然的に解体を強いられていくことになる。

収録刊行物

  • 日本文学

    日本文学 36 (1), 53-62, 1987

    日本文学協会

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