「美と教育」再論へのコメント : なぜ、あえてシュタイナーなのか(コメント論文,フォーラム2 あえてシュタイナーのシラー論を語ってみる-「美と教育」再論への一つの試み-)

書誌事項

タイトル別名
  • A Comment on Revisiting "The Aesthetic and Education" : Why Dare Nishimura Talk about Steiner?
  • コメント論文 「美と教育」再論へのコメント : なぜ、あえてシュタイナーなのか
  • コメント ロンブン 「 ビ ト キョウイク 」 サイロン エ ノ コメント : ナゼ 、 アエテ シュタイナー ナ ノ カ

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抄録

「美と教育」再論を見据えて、シュタイナーのシラー論を考察の対象とし、特にシュタイナーの『自由の哲学』における議論を、今日の教育や人間に関する通念的理解を異化する契機と見なすことを試みた西村拓生氏のフォーラム報告論文において、西村氏自身がその試みを「あえて」シュタイナーについて語ると規定していることが、本コメント論文では着目された。なぜ「あえて」なのか。シュタイナーをめぐるいくつかの文献とともに、筆者自身が経験したシュタイナー論との関わりも振り返えられ、シュタイナーを近代教育思想研究の中にこれまでの躊躇を越えて取り込む可能性が示唆された(「あえて」と言う必要は、もはやないだろう)。西村氏が異化の契機としてシュタイナーを捉えることもさることながら、むしろシュタイナー学校での教育実践を多角的に考察する中でシュタイナーの生き方や思想が参照され研究されることに、これからのシュタイナー教育思想研究のひとまずの方向性があるのではないかという見方が提示された。

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