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抄録
バーミンガム大学は商学部に会計学教授の職が設けられたのは1902年のことであった。このイギリス初の会計学教授職に就いた勅許会計士L.R. Dickseeはただし,爾後もなお,公共会計士業をもって続けていたし,ロンドン大学政治経済学院における彼の後任F.R. M. de Paulaも同様であった。1940年代,会計士団体が会計士の職がラーニッド・プロフェッションであることを強調すべく企図したのは会計士志望者のための大学レヴェルの体系的な教育課程の創設であった。この企図によって設けられた「大学スキーム」をもって通称とする制度は通常の年季奉公期間と大差ない54年間をもって学位も勅許会計士なり法人会計士なりの資格もふたつながら手に入れることができるというものであった。しかしながら,これによって資格を得た者は比較的少数であった。《法人会計士監査人協会》が同協会の機能としての研究の地位をさらに高めるべく1952年に設けたのは初めて会計士団体が設けた教授職であった。正に適任のF.S. Brayがその初代に就いたこの教授職の創設はしかし,「果たして短命に終わった教育機関以外における会計の学術的な研究促進の試みであった」。《イングランド・アンド・ウェールズ勅許会計士協会》が古参メンバーP.D. Leakeの残余遺産の受託者としてケンブリッジ大学に教授職を設けたのは1954年のことであった。爾後,オクスフォード大学における研究員職の創設ほかに用いられたこの信託基金はしかしながら,これにかんする同協会の役割はごく限られたものであった。
収録刊行物
- 三田商学研究
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三田商学研究 47(5), 1-12, 2004-12
慶應義塾大学出版会