兼好の「民部卿家褒貶和歌」をめぐって

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  • ケンコウ ノ ミンブ キョウケ ホウヘ

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抄録

兼好が生前、「徒然草」の著者としてではなく、二条為世門の歌人として知られていたことは、洞院公賢の日記「園太暦」(貞和二年閏九月六日の条)の「兼好法師来、和歌数寄者也、召簾前謁之」の記事などによっても推察できる。

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