天理教が発生した条件

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タイトル別名
  • Conditions on which Tenrikyo emerged
  • テンリキョウ ガ ハッセイシタ ジョウケン

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抄録

奈良県天理市に本部がある天理教は、天保九年(一八三八)以降、神の社となったとされる中山みき(一七九八-一八八七)という人物を教祖とする宗教である。ゆえに、天理教は教祖によって始められたとみることができる。事実、天理教の教義と儀礼は、教祖によって、人々に提示されていつた。しかし、この提示は、国の制度や家の生活様式が急速に変動した幕末維新期において、中山みきも人々と同様、世界の秩序全体の刷新を期待していたからこそ可能であったということもできる。また、彼女が普段の生活において身近な困難を解消するために始めた天理教の儀礼は、周囲の人々によって受容され、しかも参加されたから、現在のそれへと発達することができたということができる。さらに、教祖の神は人間と世界を中山家の地で創造したがゆえに世界の全ての人々を救済するという天理教の教義は、彼女が要求した儀礼をはじめとする救済を実現する活動に、参加者でさえしばしば抵抗したがゆえに、確立される必要があったということができる。つまり、人間以上の存在と交流する宗教の一つである天理教も、以上のような社会状況や社会関係を条件として、発生したということができる。

収録刊行物

  • 年報人間科学

    年報人間科学 20-2 475-490, 1999

    大阪大学人間科学部社会学・人間学・人類学研究室

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