1885年田代安定の八重山調査と沖縄県の尖閣諸島調査 Survey of Yaeyama by Antei tashiro and Survey of Senkaku Islands by Okinawa Prefecture in 1885

この論文にアクセスする

この論文をさがす

抄録

日本が領有する以前より、尖閣諸島は東シナ海航海の際の標識島として船乗りの間では古くから知られた島であった。近年、1968年に海底油田の可能性が発表されてから、領有権問題を巡って日中の有識者が盛んに議論を交えてきたが、結局の所1895年以前は無主地であったと考える外は無い。尖閣の議論を考えるに、同諸島は1885年に沖縄県による調査が行われているが、これが何故実施されてかについては、そこに焦点を当てて論じられた事は無いと思われる。近代沖縄八重山研究の嚆矢として知られる田代安定という人がいる。この人は沖縄県が尖閣を調査した1885年、時を同じくして八重山に於いて総合調査に尽力している。田代は薩摩の風土の下に生まれ、幼少期に大叔父が大東島に遭難した事は南海諸島への興味を強く抱かせた。植物学を修めた田代は農商務省に勤務、八重山出張の後に、同島開発の志を立て報告書を提出したが、当時の政府はこれを聞き入れなかった。その後ロシア出張から帰任した田代は清仏戦争の戦禍が八重山に迄及ぶ事を訴え、八重山運動を再開する。これは時の県令西村捨三の賛同を得、念願の八重山調査の任に付いた。この時、沖縄県周辺の無人島調査として尖閣諸島調査及大東島調査が実施された。この内大東島調査の要項には遭難した大叔父について調査する旨が記されていた。これは田代が無人島(尖閣)調査についても関わった事を示すものである。

収録刊行物

  • 地域研究 = Regional Studies

    地域研究 = Regional Studies (10), 11-24, 2012-09

    沖縄大学地域研究所

各種コード

  • NII論文ID(NAID)
    120005369439
  • NII書誌ID(NCID)
    AA12056256
  • 本文言語コード
    JPN
  • 資料種別
    Departmental Bulletin Paper
  • ISSN
    1881-2082
  • データ提供元
    IR 
ページトップへ