薩摩藩の財政改革と調所広郷 : 島津重豪に重用され,島津斉彬に消された男

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タイトル別名
  • Fiscal Reform of the Satsuma Clan and Zusho Hirosato

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抄録

調所広郷(安永5年(1776)-嘉永元年(1849)) は、江戸時代後期に薩摩藩主重豪に抜擢された経済官僚であり、後に家老となって重豪の命令によって薩摩藩の財政改革に貢献した。重豪亡き後は、次の藩主斉興の指示と了解に基づいて藩の財政改革を実行した優秀な官僚である。調所広郷は藩主島津重豪の命令のもとで商人から金を借り、行政改革や農政改革を実施した。薩摩藩の財政は巨額の債務として累積していたために、商人に対して強引に、500万両の借金を無利子で250年の分割払いにしてしまった。さらに琉球を通じて清との密貿易を行なった。大島・喜界島・徳之島などの「道之島」から取れる砂糖の専売制を行って大坂の砂糖問屋の関与の排除を行ったり、商品作物の開発などを行ったりなどの薩摩藩の財政改革を行い、天保11年(1840)には薩摩藩の金蔵に250万両の蓄えが出来る程にまで財政を回復させた。嘉永元年(1848)、幕府老中阿部正弘は薩摩藩の密貿易を糾弾し、責任者の調所広郷は進退きわまり、同年12月、江戸の薩摩藩上屋敷芝藩邸にて急死した。享年73歳であった。密貿易の責任追及が藩主斉興に及ばないようにすべての責を負った服毒自殺といわれている。

収録刊行物

  • 経済社会研究

    経済社会研究 58 (1-2), 1-19, 2018-06-25

    久留米大学経済社会研究会

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