<論説>バトゥミの出稼ぎダリア人 : 一九〇五年革命期の労働運動と民族的要因

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タイトル別名
  • <Articles>The Gurian Seasonal Workers in Batoum : Labor Movement and Ethnic Factors in 1905 Revolution

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抄録

西グルジアの石油積出港バトゥミでは、スターリンの関与の下で死者十数名を出した一九〇二年三月のゼネストを契機に、攻撃的労働運動が展開する。ロシア社会民主労働党バトゥミ委員会は、グルジアのグリア地方出身の出稼労働者を中心勢力として、〇五年革命以前から「独裁的」権威を誇った。実質的チロル容認と、出稼ぎグリア人の同郷人集団の結束がその背景にあった。バクーのアルメニア人虐殺以来、ザカフカス全域で民族対立が重大化し、委員会もグリア人以外からは民族的偏りを従来以上に警戒される。しかし「グルジア人」としての民族的利害ゆえにグリア人は委員会を支持したわけではない。「マルクス主義的党派がグルジア人の民族的利害を吸収した」という通説は、むしろ同時代の他民族の目から見た限りで正当化される議論だったのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 84 (4), 503-536, 2001-07-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

キーワード

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390290699823192576
  • NII論文ID
    120006598134
  • NII書誌ID
    AN00119179
  • DOI
    10.14989/shirin_84_503
  • HANDLE
    2433/239653
  • ISSN
    03869369
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • IRDB
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用可

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