<論説>前三五〇年代、トラキアのオドリュサイ王国をめぐる政治・軍事情勢 --東王国の王ケルソブレプテスの動向を中心に--

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  • 小河 浩
    広島商船高等専門学校一般教科教授

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>The Politics and Military Affairs of the Odrysian Kingdom in Thrace in the Decade of 350 BCE, Focusing on Trends of King Cersobleptes of the Eastern Kingdom
  • 前三五〇年代、トラキアのオドリュサイ王国をめぐる政治・軍事情勢 : 東王国の王ケルソブレプテスの動向を中心に
  • ゼン サンゴ〇ネンダイ 、 トラキア ノ オドリュサイ オウコク オ メグル セイジ ・ グンジ ジョウセイ : ヒガシオウコク ノ オウ ケルソブレプテス ノ ドウコウ オ チュウシン ニ

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抄録

前三六〇/五九年にエーゲ海北岸以北の大勢力であったトラキア系オドリュサイ王国は、コテュス王の死を受けてベリサデス、アマドコス、ケルソブレプテスを王とする三つの王国に分裂する。このうち最も東側の王国を支配したのはコテュスの子ケルソブレプテスであった。彼はとりわけ前三五〇年代に毀誉褒貶の激しい信頼のおけないバルバロイとしてギリシア系史料に記される。そのため、諸研究者たちは彼を、マケドニアのピリッポス二世とアテナイとの狭間にあって、オドリュサイ王国再統一を目論んだ好戦的かつ未開の王として評価してきた。具体的には、ケルソブレプテスはアテナイからケルソネソス半島を奪取しようとし、一方で他のオドリュサイ諸王や周辺諸勢力を攻めるなど、攻撃的な政策を展開した、と考えられてきた。しかしながら、諸史料を再検討した結果、前三五〇年代に彼がオドリュサイ王国再統一を試みたことはなかったことを明らかにした。

収録刊行物

  • 史林

    史林 102 (2), 245-277, 2019-03-31

    史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)

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