焼畑山村における生業変化からみた自然環境と人間の関係

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タイトル別名
  • Relation of Human and Natural Enviroment on Changing Livelihood in a Shifting Cultivation Area
  • A Case Study of Kuroiwa Settlement, Ashikita Town, Kumamoto Prefecture
  • 熊本県芦北町黒岩集落を事例として

抄録

本研究では,熊本県芦北町黒岩集落を事例として,対象地域における農業や林業,林産物採集,工業,漁業などの複合的生業形態や,転出入を伴う就業形態の動態を分析することから,人間活動のなかで自然環境としての「山」がいかなる役割を果たしてきたのかを考察し,現在の山村空間が形成されてきた仕組みを明らかにする。<BR>  研究対象地域として熊本県芦北町黒岩集落を選定した。芦北町は熊本県南部に位置し,町の北西部から西部にかけて八代海に面し,沿岸部では漁業が盛んである。その他の大部分の地域は山間地であり,柑橘類を中心とした農業が営まれている。<BR>  研究対象地域である黒岩集落は,芦北町の北東部に位置し,集落北部で八代市坂本町百済来地区に接している。家屋は標高360~430mの山腹に集中している。2011年1月現在,黒岩集落には42世帯79人が居住し,このうち59人が60歳以上,10人が独居となり,聞き取り調査が可能であった21戸より家族構成や生業形態,就業形態等の動向についてのデータを得た。人口は,1889年(明治24)には44世帯290人,1974年には78世帯385人,1984年には81世帯324人となっており,現在では過疎化・高齢化が進んでいる。<BR>  聞き取り調査の結果から,最も広く農業を実施していた時期でも,各世帯の作付状況は水田で0~0.5ha,切替畑で一部1ha上の世帯もあったが,おおむね0.1~0.3haであった。定畑については屋敷周りで行われるのみであった。その他にタケノコ栽培や炭焼き,カジ,縄編みなども行われたが,いずれも特産品とするほどの生産はなされなかった。黒岩集落においては,地主層が存在せず,自身の経営による農林業への経済的依存度は低く,複数の収入源から世帯の経済基盤を支えていたといえる。<BR>  その後,水田は1980年代末から耕作放棄地化が進み,現在では半分以上の水田が耕作放棄地となっている。黒岩集落の「山」で最も卓越した土地利用となっていた切替畑における焼畑は,1960年代より縮小が始まり1980年代初には行われなくなった。切替畑では大麦,サツマイモ,ソバ,稗などが自給的に作付けられていた。切替畑では焼畑が中止される際にスギとヒノキが植林され,1960~70年代に植林されたものでは伐期を迎え,一部では切り出されているが,半分以上は下草刈りなどの管理も行われずに放置され,収益をあげるような体制になっていなかった。1965年までは,3~4年耕作した後に松が植林され,坑木や薪炭材として経済的に利用されていたが,多くは集落外の者に利用されていた。黒岩集落の多くの世帯は世帯収入の大半を,高度経済成長期以前では「山仕事」と呼ばれる林業,高度系経済成長期以降には,関西や関東への出稼ぎから得ていた。一方,主たる経済活動である「山仕事」の場は当該集落ではなく,芦北町他集落や八代市,水俣市,さらに鹿児島県出水市や甑島などの山林であった。これらのことから,黒岩集落の住民にとって高度経済成長期以前より黒岩集落の「山」の有する経済的役割は低かったといえる。<BR>  各世帯は自家消費用の食料生産を目的として「山」を利用していた。とくに黒岩集落において,高度経済成長までは各世帯に4~8人の子どもがいた。現在と比較して約5倍の世帯員数を支えるために,「山」を利用していたといえる。その後,黒岩集落における就業形態は,中卒後の子どもが就く年季奉公や,出稼ぎによる臨時的雇用労働から1年を通じた恒常的雇用労働へ移行していった。年季奉公や出稼ぎが行われていた時期には,世帯主の男性と中卒後の子どもが転出し,その他の世帯員が黒岩集落に居住していた。そのため,食料確保の側面から世帯主の両親と配偶者が焼畑によって「山」を利用していた。他方,多くの男性が恒常的雇用労働へ従事するようになると,世帯主夫婦と子どもは揃って転出するようになった。さらに,1世帯あたりの出生数が少なくなり,世帯員数は減少していったことから,食料確保を目的とした焼畑を継続する必要がなくなり,「山」は放棄されるようになったといえる。<BR>  このように黒岩集落では,複合的生業のなかで「山」が利用されてきた一方で,世帯収入の大半を他所で得ていたことから,「山」は自給的に利用されていた。そして就業形態が通年的なものへ移行するにともない,世帯数は減少し,「山」を自給的に利用する必要性はなくなり,わずかな水田と定畑で自家消費用の作物をまかなうことができるようになっていた。従来,生産性の低さが焼畑衰退の主要因とされてきた。一方,本報告の事例では焼畑に生産性の向上を求めていなかった。「山」の利用を通じた自然環境と人間の関係は,山間地の経済的な「条件不利性」のみに規定されるのではなく,家族構成の変化や就業のあり方などの社会的な変化からも大きな影響を受け,現在のような山村空間が形成されてきたといえる。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205594103168
  • NII論文ID
    130005021087
  • DOI
    10.11518/hgeog.2011.0.55.0
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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