男女共修をめぐる戦後の韓国教育課程改訂による中学校技術・家庭科の変遷

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  • The Change of Coeducational Technology and Home Economics in Middle School According to the Revision of National Curriculum in Korea since World War 2

抄録

1.目的<br> 戦後、韓国の教育課程は、1954年に初・中等学校教育課程時間配当基準令、1955年に教科課程が制定・公布され、現在の教育課程が確立した。その後、第1次教育課程(1955)から現在(2009改訂教育課程)に至るまで、8回の改訂が行われた。それとともに実業・家政科は、男女平等視点からの様々な課題を抱えながら教科名や履修内容・方法が大きく変化を遂げた。本研究では、韓国の教育課程の改訂とともに、中学校実業・家政科の男女別履修から男女共修へと変わってきた歴史的な経緯とその課題を明らかにする。<br>2.方法 <br> 韓国教育課程は、教育分野を引き受けて取り扱っている教育科学技術部(旧、文教部、教育部、教育人的資源部)を中心に、第4次教育課程から第7次教育課程までは、韓国教育開発院で、それ以降は、韓国教育課程評価院において、研究・開発がなされていた。これらの機関で発行された教育課程研究報告書及び韓国教育科学技術部の教育課程解説書を用い、実業・家政科の改訂をもたらした要因と、それが男女平等に与えた影響の分析を行う。<br>3.結果<br> (1)第1次教育課程(1955)から第3次教育課程(1973) まで:第1次教育課程の中学校実業・家政科は、男女区別なく必修と選択として履修するようになっていた。しかし、第2次教育課程(1963)においては、男女別に、男子は「実業」を、女子は「家政」を履修するようになり、男女別履修は第3次教育課程まで続いた。このような履修方法は、男子は社会、女子は家庭という伝統的な性別役割分業を明確にしていた時代的・社会的背景を反映した教育課程だったということが分かる。<br> (2)第4次教育課程(1981)から第6次教育課程(1992):第4次教育課程からは、以前までの文教部中心の教育課程改訂方式とは異なり、教育研究担当機関である韓国教育開発院の主導で、教育課程改訂の基礎研究が行われるようになった。そこで、韓国教育開発院は、「中学校家政科教育課程試案開発に関する研究」(1975)、「生活技術教科と男女共学学習条件が役割偏見修正に及ぼす影響」(1977)という研究報告書を発表し、「技術」、「家政」を男女がともに履修する必要があり、2つの教科の統合を主張した。統合はされなかったが、男女平等の視点が展開されるようになったといえる。その後も、「第5次中学校実業・家政科教育課程試案研究開発」(1986)では、実業・家政科に対して、社会的な変化と共に「技術」と「家政」は男女とも必要な科目であることを主張し、男女が共通に履修する試案を提出した。その結果、第5次教育課程(1987)においては、男女の区別表示をなくし、男女が共通に履修できる「技術・家政」が新設された。第6次教育課程においては、①実際に「技術・家政」を選択する学校が少なかったこと、②男女が家庭生活領域、技術・産業領域をすべて学習しなければいけないということを挙げ、「技術」、「家政」をそれぞれ男女が共通履修するよう改訂を求めた。その結果、第6次教育課程においては、「技術・産業」、「家政」が二つの独立科目として男女全てが共通に履修するようになった。<br> (3)第7次教育課程(1997)から現在まで:第7次教育課程では、生徒が履修する教科目を国民共通基本教科として、10の必修教科を設定するという基本体制をとった。そのため、 「技術・産業」、「家政」を「技術・家政」として、統合履修するようになり、このような基本体制は現在まで維持されている。しかし、男女共修になったとはいえ、異なる2つの教科を1つに統合したため、それぞれの学習内容が十分に反映されず、また、履修時間の減少による問題があげられる。

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282680571864064
  • NII論文ID
    130005021530
  • DOI
    10.11549/jhee.55.0.77.0
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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