奈良県金剛山東麓に分布するマンボの現状

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  • Mambo, the traditional irrigation system in the eastern piedmont of Mt. Kongo, Nara

抄録

1. はじめに <br> 地域資源を利用する技術としてマンボが再び注目を集めている(春山2014, 古関2015など)。マンボの定義は一様ではないが、横井戸の一種で渠壁にコンクリート等の覆工を施すことなく素掘りの穴の中を地下水による自然勾配で地下水を集める技術、と括ることができよう。西アジアのカナート・カレーズにも通ずるこの灌漑技術は、国内では三重県や岐阜県をはじめとして、滋賀県や奈良県にも分布するとされる。しかし奈良県のマンボについて体系的に調べたものは必ずしも多くはなく、古くは堀内(1958)の報告があるが、近年はほとんど報告が見られない。比較的最近の報告としては川ノ上(1990)があり、奈良盆地南西部において当時で55箇所のマンボが利用されていたことが確認されている。その後25年以上経過した現在もマンボは利用されているのだろうか。そこで筆者は奈良盆地南西部の金剛山東麓地帯において、マンボの分布を確認するとともにその利用法についても聞き取り調査を行った。   <br>2.調査地および調査手法 <br> 調査地域は奈良県御所市南部である。この地域は奈良県と大阪府の府県境を成す金剛山(1125m)の東麓に当たり、扇状地性の段丘が発達している。川ノ上(1990)が作成した小縮尺の横井戸分布図を参考にして、2015年2月から2017年3月まで現地調査を重ねた。   <br> 3.結果と考察 <br> 調査を重ねていくうちに、現在も利用されているマンボは非常に少ないことが判明した。筆者の調査で確認されたマンボの数はわずか8箇所であり、うち現在も利用されているものは4箇所のみであった。その中でも水田の灌漑に利用されているものは1箇所にすぎない。残りのうち、2箇所は庭に水を引いて季節的に生活用として利用しており、1箇所は耕地の横に水が引かれているものの直接農業用水には利用していない。その他の地点では、かつてはマンボが存在したが、もはやなくなってしまったという回答がほとんどであった。 <br> 過去25年あまりの間になぜこのような急激な変化が生じたのであろうか。最大の要因は吉野川分水の開通である。吉野川分水とは長年水不足に悩まされていた奈良盆地の農業用水をまかなうために、県南部の多雨地域を流域にもつ吉野川の水を引いてくるという大事業であり、戦後間もない1947年に計画が開始された。1950年代から吉野川と奈良盆地各地を結ぶ導水幹線水路が着工されたが、調査地域に当たる金剛工区が竣工したのは1980年代末のことであった(森瀧2003)。吉野川分水を通すにあたり、調査地域では大規模な圃場整備事業が行われ、従来は自然斜面に沿う形で広がっていた狭小な棚田が、水路を備えた直線的な田に転換されることになった。棚田の斜面につくられていたマンボも、その多くは90年代までに圃場整備と同時に姿を消すことになったのである。  <br> 現在もマンボが残されている地点は、吉野川分水の通水が及んでいない地域、ないしは吉野川分水の受益域の中でも標高が比較的高い地域になる。これは吉野川分水の灌漑期間が6月から9月までに限られているため、灌漑の不足分を補うためにマンボの湧水が必要とされているからである。吉野川分水がまったく届かない上位段丘面上の水田では、金剛山からの湧水を配分するために番水制がとられている。標高に応じた水の使い分けがみられる傾斜地域で、マンボは役割を変えつつも細々と生き延びているのである。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390282680671138944
  • NII論文ID
    130005635647
  • DOI
    10.14866/ajg.2017s.0_100113
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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