地方と国家の間の首都計画
書誌事項
- タイトル別名
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- Capital city planning in between region and nation
- 市区改正取調の開始と東京府庁
- The Tokyo Provincial Government and the start of inquiry into the reform of urban districts
抄録
本稿は、近代初頭の首都計画が、東京の「官」(東京府庁)の手から中央の「官」(内務省をはじめとした中央官庁)の手に引き渡される過程を考察した。<br> 東京は、中央政府の所在地であると同時に、地方政府たる東京府の管轄下にあった。中央・地方の境目があいまいな同地で、その改造計画が中央の主導下に置かれるまでの経緯は、首都・東京における地方自治の歴史的性格を知る格好の手がかりである。しかし先行研究は、計画内容や中央政府内部の対立を解明する一方、右の経緯への関心は薄かった。<br> そこで本稿は、東京府庁内部の動向を追うとともに、首都計画の中核をなす「中央市区」概念の複合性に着目して、計画始動過程を考察した。得られた知見は以下の通りである。<br> 計画の端緒をつくった東京不燃化計画は東京府吏が提起し、〈焼けやすい〉土地を画すという発想を中核とした。東京ではこれが〈栄えている〉土地と大きく重なったため、右の区域は「中央市区」とされ、より包括的な改造への機運を生んだ。しかしこの「中央市区」概念は、〈焼けやすい〉≒〈栄えている〉土地と必ずしも重ならない、〈栄えるべき〉土地という要素も含んでいた。新任府知事の松田道之は、不燃化に築港を優先させ、「中央市区」=〈栄えるべき土地〉という流れをつくる。さらに松田は、府吏に多くを委ねた前任の楠本正隆とは対照的に、立案の主導を望む府吏を抑え、府庁の役割を「技術」と「現場」の知によって中央の立案作業を支えるものに限定していった。<br> 地方自治の枠組みの外に首都計画を置いたのは、中央政府首脳ではなく、東京府知事自身の選択であったといえる。しかし数年後に計画が固まると、その実行体制は、部分的に地方自治の枠組みの中に戻された。計画段階で回避されたため一層複雑さを増した中央の「官」・東京の「官」・東京の「民」(東京市会)間のコミュニケーションが、以降の東京の地方自治を特徴づけていく。
収録刊行物
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- 史学雑誌
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史学雑誌 126 (3), 42-66, 2017
公益財団法人 史学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390001288083161856
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- NII論文ID
- 130007499596
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- ISSN
- 24242616
- 00182478
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可