転回点としての『宮沢賢治』

書誌事項

タイトル別名
  • “<i>Kenji Miyazawa</i>”and Munesuke Mita in the 80’s
  • 転回点としての『宮沢賢治』 : 1980年代と見田宗介
  • テンカイテン ト シテ ノ 『 ミヤザワ ケンジ 』 : 1980ネンダイ ト ケンデンソウカイ
  • 1980年代と見田宗介

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抄録

見田宗介の『宮沢賢治』は文学者に関する著作であり、また直接的に社会事象や社会学理論を扱った書物ではないこともあり、社会学者としての見田宗介の仕事の中では前面に出して論じられることは少ない。だが本論では、1990年代以降の見田宗介の思考の「転回」の萌芽を含むものとして、見田社会学の展開の中での『宮沢賢治』という著作の位置付けをとらえなおしてみたい。この作業は、文学を語るということが、社会学にどのような意味をもたらすことになるのかを考えることにもつながるものであるだろう。<br> 「近代社会」の内在的な価値分析からその思索を開始した見田宗介は徐々にその作業の力点を「近代」の批判や相対化に向けていく。だが、1990 年代後半以降は、人類史という観点から「現代」という時代のポテンシャルを再評価するに至っている。ここには、「現代」という時代に内在する「転回」の可能性を読み取ること、および、そのようなかたちで「現代」に対する評価を「転回」することというかたちで、見田社会学の中に二重の「現代社会」に対する態度の「転回」が生じている。本論文は、このような二重の「転回」を見田の思想の中にもたらしたものとしての『宮沢賢治』という書物の意味の再評価を試みる。“ゆたかさ”というものの意味を見田宗介はこの本の中で捉え返そうとしていた。

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