1900年代台湾農政への熊本農業学校の関与

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タイトル別名
  • Participation of Kumamoto Agricultural School in Taiwan in the 1900s
  • 1900ネンダイ タイワン ノウセイ エノ クマモト ノウギョウ ガッコウ ノ カンヨ

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抄録

植民地期台湾農政については、呉文星などの研究により、札幌農学校出身者が中心的役割を占めてきたことが指摘されている。それ自体に異論はないが、従来の研究は「札幌では何か台湾農業に関する教育を行っていたのか?行っていなかったらどうやって台湾の農村現場で仕事ができたのか」という問いに十分答えていない。本論は、札幌農学校出身者の農政を補助する存在として、熊本農業学校出身者に注目した。台湾総督府技師などを務めた島田弥市(1881~1971)を出世頭とする熊本農業学校出身者は、180人以上が台湾に渡り、多くが農事試験場や各地方庁の技手を勤め、台湾の農村現場で仕事をしていた。彼らは、札幌農学校から熊本農業学校の教諭を経て、台湾総督府技師となった川上滝弥・吉田碩造・井街顕の引きで、台湾に渡ったものである。熊本農業学校の教育は、札幌農学校出の校長や教頭・教諭に指導されたものであったが、札幌農学校の教育とは全く異なる実習主義、即戦力主義に立っていた。そしてアメリカ流の大農法も見聞し、林遠里流の日本在来農法にも触れていた。台湾農業そのものへの教育こそ無かったものの即戦力は十分にあった。1900年代台湾の農業指導の現場に立ち、札幌農学校出身者を補助することは十分可能であったと思われる。

収録刊行物

  • 人間文化研究

    人間文化研究 18 223-234, 2012-12-21

    名古屋 : 名古屋市立大学大学院人間文化研究科

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