<論説>享保期の上方における幕府広域支配と大名預所 : 狭山藩の狭山池預所を事例に

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  • 島本 多敬
    京都府立大学大学院文学研究科博士後期課程

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>The Sayama Domain's Administration of the Sayamaike Reservoir under the Rule of the Tokugawa Shogunate in the Kamigata Region circa the Beginning of the Eighteenth Century
  • 享保期の上方における幕府広域支配と大名預所 : 狭山藩の狭山池預所を事例に
  • キョウホウキ ノ ジョウホウ ニ オケル バクフ コウイキ シハイ ト ダイミョウ ヨショ : サヤマハン ノ サヤマチ ヨショ オ ジレイ ニ

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抄録

河内国狭山池を享保六年(一七二一) から預所とした狭山藩北条氏を取り上げ、治水の局面において、享保期の所領錯綜地域・上方における幕藩領主の支配形態を、大名預所と幕府広域支配との関係から検討した。一八世紀初頭に至る幕府の治水制度整備、そして、地域における狭山池治水の体制の動揺を契機として、狭山藩は池の水防強化を目的に掲げて狭山新宿の支配を願い出た。大坂町奉行所は、池の保全と狭山藩陣屋周辺の治安維持という観点から同藩の主張を支持した。また、幕府中央は、狭山藩の能力を利用した治水の強化と河川支配の政務負担軽減を企図したが、同時に河川支配の「公共的」性格を担保するため、狭山池全体を同藩の預所とした。狭山藩による狭山池支配は、同藩にとって陣屋・自領の存立維持を動機としたものであった。一方、幕府にとっては、小規模外様大名を組み込んだ河川支配域の再編と、個別領主が直面する水害という危機の解消を同時に目指した判断であった。

収録刊行物

  • 史林

    史林 100 (2), 268-302, 2017-03-31

    史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)

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