明治大正期における中等農業学校卒業者の台湾への就職 : 大分県農学校を中心にして

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タイトル別名
  • メイジ タイショウキ ニ オケル チュウトウ ノウギョウ ガッコウ ソツギョウシャ ノ タイワン エ ノ シュウショク : オオイタケン ノウガクコウ オ チュウシン ニ シテ
  • Employment in Taiwan of Secondary Agricultural School Graduates in the Meiji Taisho Period : Focusing on Oita-ken Agricultural School
  • メイジ タイショウキ ニオケル チュウトウ ノウギョウ ガッコウ ソツギョウシャ ノ タイワン エノ シュウショク オオイタケン ノウガッコウ オ チュウシン ニ シテ

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抄録

本論は大分県農学校卒業生の台湾での就職状況を概観しながら、日本統治前半の台湾における日本人社会の形成、特に官民の中下級技術者たちの台湾赴任とその後の動きを考察したものである。大分県農学校は、九州でも有数の中等農業学校であり、教諭にも学歴の高い人が多く、政争のごたごたにも関わらず大分へそして台湾や朝鮮へと農業人材を送り出し続けていた。台湾での送り出し先は総督府とその関係機関だけでなく民間企業にも及んでおり、日本統治期の農業分野における中下級技術者層の重要な供給源の一つとなっていた。その過半は1930 年になっても台湾に留まり、長期間の技術指導等を行っていた。

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