新大分スタンダードにみられる授業観と道徳科における活用 : 吉本均の「ドラマ論的授業指導論」に基づく教育方法学的検討

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  • シン オオイタ スタンダード ニ ミラレル ジュギョウカン ト ドウトクカ ニ オケル カツヨウ : ヨシモトキン ノ 「 ドラマロンテキ ジュギョウ シドウロン 」 ニ モトズク キョウイク ホウホウガクテキ ケントウ

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抄録

type:Departmental Bulletin Paper

近年,各地の教育委員会等において標準的な授業モデルの開発が進められる中,注目を集めているのが「新大分スタンダード」である。しかしながら,同スタンダードに関しては,その理論的な基盤が十分に明確にはされてきていないという課題も存在する。そこで,本研究では吉本均の「ドラマ論的授業指導論」を手がかりに教育方法学の観点からその授業観について理論的検討を行い,同スタンダードの理論的可能性を明らかにした。新大分スタンダードでは(1)授業構成の側面,(2)指導の側面,(3)学級経営の側面から,授業において必要とされる要件の定式化が行われているが,吉本もまた子どもたちの集団的相互作用を基盤としながらも教師の発問や価値づけといった指導の必要性を強調する。すなわち吉本は,子どもたちがそれぞれの知識や経験により同一の課題に対しても異なる観点から意見を出すという事実を前提に,そうした考えを一つの正解にまとめさせるのではなく,それぞれの考えの違いを明確化し,自分自身の考えとは異なる観点について子どもたちに理解させ,その違いの内実や,違いが生まれた理由などを深く考えさせ,各自の考えの幅と深さを広げるという授業を提唱するのである。こうした授業は「考え,議論する」ことが求められる「特別の教科 道徳」にも適合的なものである。そこで本稿ではこうした吉本の論をふまえた形で「新大分スタンダード」を活用し,二種類の新たな道徳授業例を提案した。

In this paper, it was endeavored to reconstruct the theoretical basis of the local didactic standards called “Shin-Oita-Standard" and to propose some didactic examples for the subject of moral education (“Tokubetsuno-kyouka Doutoku). The key concept for the reconstruction originated from the didactic theory “Lecture as Drama" of Hitoshi Yoshimoto which was widespread among Japanese teachers in the 1980s.

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