死ぬことを学ぶ
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死ぬことを学ぶ
(新潮新書, 454)
新潮社, 2012.2
- タイトル読み
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シヌ コト オ マナブ
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注記
参考文献: p185
内容説明・目次
内容説明
生きるも難儀、死ぬも難儀—。敗戦後、日本人は自らの本質について思い煩わなくなった。しかしバブル崩壊から東日本大震災に至る日々の中で、「哲学」の不在を痛感している人は多い。だからこそ「死ぬこと」を学ばなければならないのだ。当人は決して見ることができない人生の決算表はいかにあるべきなのか。大往生、殉死、暗殺、自殺…先人たちのさまざまな死の様相を眺め、味わい、思いを致す。福田流「死に方読本」。
目次
- 序章 死という事態の前で
- 第1章 日本人の死にざま(確信と不安の間を揺らぎ続ける特攻隊という自発的な死;哲学が死滅した今、「死ぬことを学ぶ」哲学という営為が求められている;自殺を戒められた暗殺者は、決行後どのように生きていくのか;大きな志は失っても、大きな仕事と人間を残すことはできる;自ら作った雑誌の命脈を見切った出版界のモンスターがいた)
- 第2章 死者の置き土産(「天下之糸平」の五文字の凄みから、墓碑に込められた心意気を知る;墓というのは、どうしようもなく、故人の相貌、風格を残す;折口信夫の恐ろしさは、その墓を見なければわからないだろう;気持ちのよい山路愛山の墓に比べて、森鴎外の墓はちょっと残念;死んでまでつるんでいる大宅壮一と梶山季之の面白さ;強欲と恬淡が同居する松永案左衛門の墓には惹かれる)
- 第3章 自殺の国の死生観(切腹という自死を過度に重視したところに、日本の「ユニークさ」がある;なぜ、作家は近代になって自殺するようになったのか;芥川龍之介は明敏だからこそ、単純だが厄介な罠に陥った;フィクションを完成させるために、太宰治は死を選ばなければならなかった;三島由紀夫の切腹は、文学的で人工的だが、戦いだったのだろう;分泌生活に入って二十年以上、同年輩の物書きがいなくなると堪える)
- 終章 五十歳の辞世
「BOOKデータベース」 より