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検索結果 132 件

  • 1 / 1

  • 西太平洋における米国の対中国安全保障戦略2006

    田澤 佳昭 東京未来大学研究紀要 17 (0), 93-103, 2023-03-31

    ...米国防総省は2000年以降、『中華人民共和国の軍事力に関する年次議会報告書』をほぼ毎年刊行して中国への警戒を強めたが、同報告書では05年版までは、中国の軍事力の拡大・性能の向上が予想を上回る速度で展開していることを明らかにしつつも、中国の脅威をことさら強調するものにはなっていなかった。...

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  • <論説>濁酒の近代 --伊藤永之介の『梟』から考える-- (特集 : 食)

    藤原 辰史 史林 106 (1), 185-217, 2023-01-31

    ...帝国日本は酒税と地租の二大柱によって近代化と軍事力増強を果たしてきたゆえに、酒税の徴収を妨げる自醸自飲の風習はなんとしても止めなければならなかった。そのことを念頭に、伊藤永之介は、「梟」を通じて、濁酒を造り飲むことで仕事の辛さを忘れ、税務署員を子どもと協力してだまし、濁酒文化を守ろうとしてきた姿を精緻に描いた。...

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  • 国家間武力紛争の時間構造における冪法則性

    岡本 洋, 吉本 郁, 加藤 創太, 阿山 晴取, 篠原 修二 人工知能学会全国大会論文集 JSAI2023 (0), 2P5GS1101-2P5GS1101, 2023

    ...さらに、仮説「軍事力の行使は国家間におけるコミュニケーションの一形態である」に基づいて、ICIの冪法則性を説明する情報理論モデルを構築した。このモデルは、個々のdyadにおいて、ICIが同一の冪分布から独立に生成されることを予言する。DyadごとにICI系列の自己相関を分析し、この予言を検証した。</p>...

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  • ウクライナ侵攻初期にテレビは何を伝えたか

    上杉 慎一 放送研究と調査 72 (7), 38-50, 2022-07-01

    ...圧倒的な軍事力を背景に、空からのミサイル攻撃と並行し地上軍も進軍させた。当初は首都キーウの陥落も時間の問題とみられた。力による一方的な現状変更にアメリカはじめG7各国は強く反発し、経済制裁を強化した。世界各地で反戦デモが行われ、ロシア国内でも反対の声が上がった。 21世紀に起きた侵略戦争を日本のテレビはどう伝えたのだろうか。それをつかむため、報道量の調査を行った。...

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  • 西太平洋における米国の対中国安全保障戦略1990-2005

    田澤 佳昭 東京未来大学研究紀要 16 (0), 99-110, 2022-03-31

    ...本論文では、南シナ海問題に対する米国の関与についての関心から、2000年以降、中国の軍事力に関する米国防長官府の報告書が作成されるまでの経緯をみていくとともに、初期の報告書が中国の脅威をことさら強調することなく、中国の軍事力の拡大を冷静に整理し、南シナ海問題への警戒を高めていった過程を明らかにした。...

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  • <論説>北宋「滅び」への道程 --「二帝北狩」の成立-- (特集 : 滅び)

    藤本 猛 史林 105 (1), 28-63, 2022-01-31

    ...北宋の「滅び」とは、靖康二年(一一二七)に金が都の開封を陥落させ、太上皇帝徽宗と皇帝欽宗を北方に連れ去った「靖康の変」で、もっぱら金の軍事力によってもたらされたと考えられている。しかし一度目に開封が攻囲されたとき、徽宗が開封にいなかったことを考えれば、二度目の攻囲で二人が同時に連れ去られたことは、決して当たり前のことではなかった。...

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  • 朝鮮前期の対女真貿易

    山本, 進 北九州市立大学外国語学部紀要 (153) 1-18, 2021-12

    ...鉄が輸出されると彼らの軍事力が増大するからである。だが1470年代頃から明や朝鮮の支配層の間で貂皮が流行すると、貂皮と鉄物との密貿易が活発になった。...

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  • 激動する東アジアと中国の脅威 ─チベット人の立場から─

    ペマ, ギャルポ, Pema, Gyalpo 拓殖大学国際日本文化研究 4 229-249, 2021-03-25

    ...近年の中国による透明性を欠いた軍事力の増強、無秩序な海洋進出は、安全保障上の大きなリスクとなっている。新型コロナウイルスの影響で「一帯一路」構想は以前と比べ、多少、鈍化しているようにも見えるが、停止はしていない。中国の世界覇権への欲望と戦略は、コロナ前、コロナ後も基本的には大きな変化はなく一貫しているのである。...

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  • 米中経済対等化と中国の新世界秩序形成

    奥村, 皓一 経済系:関東学院大学経済経営学会研究論集 282 48-71, 2021-03

    ...中国の指導者は,経済力・技術力に加え軍事力を伴って世界一を達成する「中国の夢」を追求する。建国一〇〇年の2049年までには世界一の強大国たるべく,中国の新世界秩序=「一帯一路」を推進し,米国の世界秩序に挑戦する。米国は中国との「経済(技術)分断」(ディカップリング)と新中国包囲網(インド太平洋構想)の構築で中国を封じ込めようとし,中国は戦略物資の備蓄・軍事力展開で対抗しようとしている。...

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  • 習近平思想とその軍事戦略

    下平 拓哉 危機管理研究 29 (0), 15-21, 2021

    ...習近平体制下,建国以来最大規模の軍改革が進められてきたが,軍事力強化の一層の推進が示された意義は大きい。本稿では,中国共産党第19回全国代表大会等における報告や最新の中国国防白書,米国防総省報告書等,中国国内外の関連資料を分析し,社会主義現代化強国という新時代の新たな国作りのため,権力基盤を固めつつある習近平が掲げている習近平思想の特徴とその軍事戦略の注目点について明らかにした。...

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  • ウィリアム・ペティの政治算術(4) ―ベーコン主義の経済科学―

    大倉, 正雄, Okura, Masao 拓殖大学論集. 政治・経済・法律研究 22 (2), 77-138, 2020-03-25

    ...それは,フランス国王ルイ十四世によるオランダ侵略戦争を目の当たりにして掲げられた,政治力・軍事力を強化する提案である。第8章で示された,雇用の拡大による交易の奨励策は,最も重要な提案である。ここでは,海外交易を重視するオランダ型の経済システムにもとづいて,国力・経済力の強化が図られている。さらに第4章の余論では,「理性的な提案」というよりは,「夢か空想」にすぎないという提案が示されている。...

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  • ムソビシの時代 : 1821年−1842年のシャムによるクダー占領期(part.1)

    黒田, 景子 鹿児島大学総合教育機構紀要 3 27-40, 2020

    ...1811年にナコンシータマラートの国主に就任したノーイは軍事力に劣るソンクラーを退けてペナンにつながる交易利権を求めて、その勢力をタラーン港市群やトラン等に拡大した。その中で最も露骨な干渉が、クダーの占領である。ナコンシータマラートはクダーのスルタン一族の内紛を利用して1821年にクダーに侵入して占領し、これを1842年まで直接支配下においた。(以上前半part.1)...

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  • 撤回:サイバー空間における抑止理論

    渡邉 聖子 日本セキュリティ・マネジメント学会誌 34 (1), 4-14, 2020

    ...されている「拒否的抑止論」を踏まえ,サイバー攻撃と能力構築支援の負 の相関関係を示す仮説を提唱する.今後,予算・既存の軍事施設・軍事演習の頻度や軍用機等を指標とし仮 説の検証を行う.各国家が公表している軍事費・の資料や数値を用いて,CB の支援国・ドナー国の協力によるサイバー攻撃逓減の相関関係と因果関係の発見が見込まれる.後の課題として,国家の交渉,発展途上国 の動向,また技術力・経済力・軍事力...

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  • 僖宗期における唐代藩鎮体制の崩壊

    新見 まどか 史学雑誌 129 (9), 1-35, 2020

    ...そしてより重要な問題は、黄巣の乱前半期、本来唐の軍事力の根幹であったはずの遊牧勢力が、ほぼ全く利用されなかったことである。この原因は、黄巣の乱と同時期に代北で起こった李(り)克用(こくよう)の乱であった。黄巣の乱の淵源地と李克用の乱の淵源地とは、藩鎮体制においてはいずれも唐を守るべき戦力が配備されていた地域だった。しかし僖宗期には、その両方の軍事力が利用不能となったのである。...

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  • 航海の自由と通商の国民

    薩摩 真介 史学雑誌 129 (2), 1-36, 2020

    ...しかし、本論文ではこの時期の議論を、近年の財政軍事国家論の進展を踏まえ、十八世紀半ばのブリテンにおける軍事力、とくに海軍力の行使を正当化ないし批判するロジックの解明という新たな観点から分析する。<br> 使用した主な史料は、新聞・パンフレット類などの出版物、および議会討議録であるコベット『議会史』である。...

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  • 東アジアの地域秩序と社会経済システム : 中華文明の観点から

    竹下, 公視 關西大學經済論集 68 (3), 61-80, 2018-12-10

    ...②19世紀中葉、「上下・優劣関係」を基礎に秩序を構想する中華文明がまったく異なる秩序観に立つ西欧文明に出会った際に受けた衝撃は、圧倒的な経済力と軍事力、および「並列・対等」を旨とする国内・国際秩序観であるが、その二つの衝撃(経済システムの近代化と政治システムの近代化)が「中国近代史の主題」となった。...

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  • ロシアから見た日本統治時代の台湾 ―帝政時代とソ連時代の比較―

    モロジャコフ, ワシ―リー 拓殖大学台湾研究 2 101-114, 2018-03-25

    ...一般的に言えばロシア側は,植民地としての台湾が日本の「宝物」になるのか,「厄介者」になるのか,日本の経済力と軍事力を強めるのか弱めるのか,を知りたがった。日露戦争以前,経済と軍事の両観測分野は同じように大事と考えられた。が,日露戦争直後,台湾の経済は軍事より興味深いと見られた。 1920年代には,日本の植民地はソ連共産党とコミンテルンの対外政策の焦点となった。...

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  • 明治期の唐津における観光振興と印刷メディア

    世利 幸代 日本デザイン学会研究発表大会概要集 65 (0), 296-297, 2018

    ...本稿の目的は,印刷メディアを糸口に明治期の唐津における石炭産業と観光振興の関係を考察することにある.本稿が研究対象とする唐津は,九州の玄界灘沿岸に位置する街である.藩政期より石炭の生産がさかんであった唐津では,運搬と売買を手がけた石炭問屋が経済的な実権を持っていた.明治政府の軍事力増強や軽工業の発達とともに唐津炭田が興隆すると,石炭問屋,有力商人,旧藩士らが石炭取引会社を設立,その有力者らによって運炭鉄道...

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  • 伊賀者・甲賀者考

    藤田 達生 忍者研究 2018 (1), 16-27, 2018

    ...足軽衆は、独自に強力な軍事力を発揮し、他国まで出陣して攻城戦をおこなうことさえあった。伊賀衆や甲賀衆は信長に抵抗して惣国一揆や郡中惣による領域支配を維持しようとするが、甲賀衆は天正二年に、伊賀衆は天正九年に敗退して臣従する。豊臣秀吉は、当初彼らの軍事力を活用するが、天正十三年閏八月、畿内近国を制圧した直後に兵農分離策を断行して、兵として他国で仕官するか、農として在国するかの選択を迫った。...

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  • 昭和期の「災害出動」制度

    吉田 律人 史学雑誌 127 (6), 48-64, 2018

    ...本稿では、自衛隊法第83条で定められた災害派遣制度と、衛戍条例第9条で定められた災害出動制度の類似点に着目、軍事力の要請権者や部隊指揮官の権限に留意しつつ、戦前と戦後の法令を分析することで、災害に対する軍事組織の役割を検証した。...

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  • 十世紀における国家軍制と鞠智城

    野木,雄大 鞠智城跡「特別研究」論文集 : 鞠智城と古代社会 5 63-85, 2017-03-11

    ...しかし、天慶の乱が勃発すると、既存の国家軍制では太刀打ちできず、中央は天慶三年正月十一日官符によって反乱側の軍事力でもあった「党」の組織を試みる。これが功を奏し、「党」の軍事力によって天慶の乱は鎮圧され、同官符は乱の鎮圧者の系譜が「兵」の家として確立してゆく契機となった。...

    DOI 全国遺跡報告総覧

  • 嘉手納基地における家族住宅の建設

    加藤 政洋, 前田 一馬, 柿木 崇宏 日本地理学会発表要旨集 2017a (0), 100043-, 2017

    ...基地内の主要な建築に関して,少なくとも数の上で目を引くのが,住宅(将校宿舎,兵員宿舎,家族住宅)約1,300棟,計1,704戸である.基地という空間は,軍事力とそれを支える物的基盤(インフラストラクチュア)のみならず,軍人(とその家族)にとっては生活空間でもあるのだ.  ...

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  • 植村正久の日露戦争論──可戦論における文明・戦争・キリスト教──

    吉馴 明子 人文科学研究 : キリスト教と文化 (48) 139-167, 2016-12-15

    ...植村正久の場合は、ボーアの抵抗に「自由」実現への希求を見るとともに、 国際関係は軍事力・経済力が物をいうとの認識を持った。日露開戦期のアジア 情勢についても、ロシア、中国、日本の力関係をリアルに見ている。その意味 で日露開戦は不可避とし、国家の一員として戦争に参加すべしと「非戦論」は とらない。しかし、彼の願いは、戦争が人間の自立の促進や社会革新を進める ことに役立つことにある。...

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  • <b>イスラエルのテロ対策機器について </b>

    志田 眞一 安全工学 55 (6), 423-426, 2016

    ...<p>建国以来,イスラエル国の置かれている状況がセキュリティ機器の発展と進化を促す要因となっている.強力な軍事力を持ち,世界トップクラスの科学力を有し,軍で培った技術が民生品として応用され商品化されている.とりわけ,テロ対策機器には目を見張るものがある.ビッグデータを利用した監視装置など多岐に渡り開発されて,イスラエル国政府も国策として応援し,世界中に広がっている.さらにドローン技術,簡易レーダー技術...

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  • 琉球を再考する

    Smits, Gregory, スミッツ, グレゴリー IJOS: International Journal of Okinawan Studies 6 1-19, 2015-12-25

    In this essay, I attempt to re-conceptualize the broad contours of the history of the Ryukyu Kingdom. Simply stated, I seek to describe what Ryukyu was. I present Ryukyu as a small-scale empire, …

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  • ワシントン条約体制下の青島における領事館警察について : 1922年膠州湾租借地返還交渉を中心に

    長沢 一恵 人文學報 106 125-167, 2015-04-30

    ...国際議論について,ワシントン極東会議での治外法権撤廃問題に関する欧米列国,日本,中国の 認識を検討し,条約に明記された「領事裁判権」及び「協定関税」以外の外国権力の行使は 「主権を制限」するものとして即時撤廃すべきことが合意され,これにより中国で列国が行使していた郵便,通信,軍隊,鉄道守備隊,警察などの外国特権は治外法権としての根拠を失ったこと,そのなかで特に「外国警察」については外国軍隊と同様に「外国軍事力...

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  • 唐武宗期における劉稹の乱と藩鎮体制の変容

    新見 まどか 史学雑誌 124 (6), 1077-1113, 2015

    ...すなわち安史の乱以来、唐朝は北辺防衛のみならず対河朔三鎮のため、内地にまで膨大な軍事力を抱え込んできた。しかし武宗期、北辺でウイグルが崩壊したので、朝廷は北辺防衛の軍事力を内地の藩鎮反乱討伐に割いた。さらにこの藩鎮反乱の中で唐朝廷は、河朔三鎮の安静化をも実現した。こうして、唐朝の軍事的脅威は内外ともほぼ同時に消滅した。そこで朝廷は、一見不用となった内地藩鎮の軍事力縮小に乗り出した。...

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  • 日米安保条約をめぐる日本の世論の影響 : 岸政権と鳩山政権の比較から

    北村 知史 同志社政策科学院生論集 3 27-38, 2014-01-10

    ...日米安保条約は、日本の安全保障政策の根幹であり、日本政府は、日米安全保障体制の意義について、(1)米国の軍事力による抑止力を有効に機能させることで、日本側の適切な防衛力の保持と合わせ、日本の安全を確保すること、(2)日本に駐留する米軍のプレゼンスによって日本の周辺地域の平和と安全が確保されていること、そして、(3)米国と協力して国際的な安全保障環境の改善に取り組むことが日本の平和と繁栄をさらに確かなものになることの...

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  • 参勤交代制の変質

    藤本 仁文 洛北史学 14 (0), 74-98, 2012-06-02

    ...本制度は幕府が指定した時期を全大名が忠実に守って参勤交代を繰り返すことにより、江戸や全国各地の軍事力配備、軍役体系を維持するというのがその本来の意味や機能であった。...

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  • モンゴル高原における遊牧の歴史

    尾崎 孝宏 日本地理学会発表要旨集 2012a (0), 100040-, 2012

    ...その後の歴史的展開や民族誌的見地から見ても、モンゴル高原中央部を占めているのは各時代の優勢な集団であり、そうした優位性は大量のウマに支えられた軍事力と同義だったという意味で、モンゴル高原とウマ飼養は密接な関係にある。モンゴル高原で行われている遊牧の別の特徴として、牧畜の専業性が高い点が挙げられる。この理由は、モンゴル高原の生産力の高さも考えうるが(Ex....

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  • American Eyewitness Accounts of bakumatsu Japan, 1842‐1846

    William, McOmie 人文学研究所報 (45) 23-43, 2011-03-25

    ...日本は古くから中国の文明と密接に交流しており,中国がイギリスの軍事力によって敗北,香港などの港を開かされると,日本もいずれ西洋の国々に港を開くことを避けられなくなるだろうと広く思われました。一番に議論されたのは,その開き方が戦争によるか,または平和的におこるかということでした。...

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  • 戦争・平和を展示する

    福西 加代子 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2011 (0), 129-129, 2011

    ...本発表では、日本と韓国における第二次世界大戦の展示、その後の両国の戦争や軍事力の展示と現在の平和展示への取り組みを、展示に関わる人々の視点を取り入れて比較し、そこから戦争展示のあり方、そこから生み出される平和展示のあり方を展示に関わる人々の問題として分析し、考察していく。また、戦争展示や平和展示のあり方を考えることは、戦争や軍事力からみた平和の人類学構築にむけての新たな試みであると考える。...

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  • 中国の台頭が東アジア安全保障に与える影響 : 分析的折衷主義の視点から

    新沼 剛 日本赤十字九州国際看護大学intramural research report 9 1-13, 2010-12-25

    ...近年、目覚しい経済発展に伴い、中国は軍事力を増強しており、日本を含めた近隣諸国は、中国の台頭が東アジアの安定化要因となるのか否か注目している。コープランドやグリエコ等、多くのリアリストは、中国の経済成長が継続すれば、いずれ自国の政治的・経済的地位を向上させるために、地域の安全保障秩序を変えようとするであろうと警告している。...

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  • 欧州私掠船と海賊-その歴史的考察-

    稲本, 守, Mamoru, Inamoto 東京海洋大学研究報告 5 45-54, 2009-03-27

    ...更に本論は、19 世紀半ばに私掠行為が廃止された経緯を、主に国家による軍事力独占の過程から説明した。言い換えれば国家は、海上における軍事力を独占し、海賊を「万民の敵」とすることによって初めて海上における主権を確立したのである。...

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  • 近代日本の公衆衛生・労働衛生思想における体力観

    瀧澤 利行 スポーツ社会学研究 17 (1), 15-30, 2009

    ...この理論の下では、個人の健康は国家経済の発展と軍事力の増大に関連するとみなされたのである。 <br> 他方では、国民総体の健康について考えるという視点は、彼らの健康水準を平等化することを目的とした社会衛生思想を受容する契機となった。社会衛生学・労働科学の先駆者であった暉峻義等は、産業国家の発展の立場から、労働者における体力を充実させる必要性を指摘した。...

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  • 軍事力の展示

    福西 加代子 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2009 (0), 158-158, 2009

    ...本発表では、2008年に日本各地でおこなった、航空ショーでのフィールドワークをもとに報告し、航空ショーにおける軍事力展示の位置づけを示す。...

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  • 参勤交代のねらいは? : 「参勤交代」の授業における留意点

    早川 明夫 教育研究所紀要 = Bulletin of Institute of Educational Research (16) 111-119, 2007-12-01

    ...3代将軍徳川家光によって制度化されたとされる参勤交代のねらいは、大名の経済力・軍事力を抑制・削減して幕府に反抗できないようにするためである、こうした理解が教育現場に相当定着している。しかし、学会においてはこのような見方は一般的ではない。参勤交代が、大名にとって大きな経済的負担となっていたことは事実である。しかし、これは参勤交代の結果であって、この制度が設けられた目的ではない。...

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  • 戦争・テロは生命倫理の課題か : 殺人の正当化と寛容律

    加藤 尚武 生命倫理 17 (1), 12-17, 2007

    ...西欧型寛容論の典型を示すピエール・ベール(1686-87)は「宗教を吹き込む唯一正当な方法は、明らかに、神に関する一定の判断と一定の意志の動きを心の中に生じさせることである」と述べて、宗教は内面的な真理であり、軍事力・法的強制力・世俗的な影響力などの外面的な強制は、宗教の本質に一致しないと主張した。この寛容概念は聖俗二元論に依拠している。その二元論を否定するのがイスラム教の特色である。...

    DOI 医中誌

  • ネオリベラル・グローバリゼーションにおけるアメリカ帝国の覇権(下)

    奥村, 皓一 自然人間社会 41 83-125, 2006-07

    21世紀に入り、「冷戦」が終わって10年以上過ぎたというのに「帝国」「帝国主義」が、世界人類の当面、最大課題となり始めた。ソ連邦が崩壊し、旧社会主義陣営の国々が資本主義市場経済を受け入れ始める一方で、資本主義大国間のグローバル競争が激化し始めた。中国、ロシア、ブラジル、インドといった新興の市場経済大国は、興隆をはたすなかで経済超大国をも目指し始めたのである。唯一超大国のアメリカは、経済力の相対的…

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  • ネオリベラル・グローバリゼーションにおけるアメリカ「帝国」の覇権(上)

    奥村, 皓一 自然人間社会 40 121-155, 2006-01

    21世紀に入り、「冷戦」が終わって10年以上過ぎたというのに「帝国」「帝国主義」が、世界人類の当面、最大課題となり始めた。ソ連邦が崩壊し、旧社会主義陣営の国々が資本主義市場経済を受け入れ始める一方で、資本主義大国間のグローバル競争が激化し始めた。加えて中国、ロシア、ブラジル、インドといった新興の市場経済大国は、興隆をはたすなかで経済超大国をも目指し始めたのである。唯一超大国のアメリカは、経済力の…

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  • ベトナム戦争における解放軍の規模

    福井 木綿 財政研究 2 (0), 218-232, 2006

    ...推計結果によって,(1) 解放戦線の規模は現在まで過小評価されており,解放戦線の役割についての再評価が必要であるということ,(2) 解放戦線とハノイ政府の関係性の転換において,テト攻勢とベトナム化政策による打撃が大きな影響力をもったということ,(3) 米国の圧倒的軍事力を背景とするサイゴン政府側が軍事的優勢にたつことができなかった理由は規模の問題にあったということが明らかとなった。</p>...

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  • <論説>薩長同盟の展開 : 六ヶ条盟約の成立

    高橋 秀直 史林 88 (4), 511-545, 2005-07-01

    ...同年九月に長州再征勅許が出されたのをうけ、薩摩は再征阻止に向け軍事力行使を決意した。しかし幕府は進軍せず情勢不透明となり、戦略を相談し直すべく、慶応二年一月に木戸孝允・西郷隆盛らの京都会談が実現した。会談で西郷は、事実上の再征撤回を含んだ幕府側の処罰令受諾を勧めたが、木戸は処罰を頑なに拒否した。...

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  • 1930年代のソビエト『防衛映画』における日本のテーマ

    メーリニコヴァ,イリーナ Japanese Slavic and East European studies 23 57-81, 2003-05-31

    ...『防衛映画』とは国防に必要な軍事力強化のプロパガンダが目的で作られた劇映画であった。本論文は、1930年代のソビエト『防衛映画』における日本人のイメージについて考察したはじめての読みである。最初に9本の映画のあらすじをまとめて、次にそれらの歴史や政治的背景を概観する。...

    NDLデジタルコレクション

  • 軍事郵便に見る兵士と戦場論(1. 兵士と村)

    山辺 昌彦 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 101 61-72, 2003-03-31

    ...また、日本軍の攻撃・爆撃により廃嘘になり死体が放置されている都市の様子、日本軍が軍事力で占領地支配を維持しており、日本軍のいいなりになる政権をつくり、植民地と同様に日本化している様子も見られる。さらに毒ガス戦の準備の様子を見られる。このように、農民兵士の軍事郵便からも、日本の中国への戦争が侵略戦争であり、それが中国の人びとに多大な災難、損害と苦痛を与えており、戦争犯罪もあったことがわかる。...

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  • 古墳に副葬された武器の組成変化について

    田中 晋作 日本考古学 10 (15), 11-33, 2003

    The aim of this article is to demonstrate the possibility that, in the Middle Kofun phase, the presence of weapons amongst the tools buried in kofun tombs can be linked with individuals assigned to …

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  • 福岡県若宮盆地の中世城郭調査

    中村 修身 日本考古学 8 (12), 123-134, 2001

    In recent years, surveys of medieval hill fortresses in Fukuoka prefecture have progressed and various aspects of these sites have become known. At the Japanese Archaeological Association meeting in …

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  • ニュージーランドの安全保障上の役割 : プライオリティとその展開

    佐島 直子 日本ニュージーランド学会誌 6 (0), 41-54, 1999

    ...軍事力の近代化が著しいアジア・太平洋地域にあって、ニュージーランド装備は老朽化が目立っている。1997年にはようやく長期的な防衛力整備計画が示されたものの、その実現には様様な障害が立ちはだかっている。かたや、冷戦後の国際社会では国際的な平和維持活動の所要は拡大する一方である。現状のニュージーランドの防衛力では、いずれ思うような貢献がままならない事態となる。...

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  • 古代馬牧-河内, 信濃16牧の立地と馬産供用限定地への発展

    早川 康夫 日本草地学会誌 41 (2), 169-175, 1995

    ...馬は国威高揚のための軍事力として欠かかせぬものであった。しかし草食動物をまとめて多頭数飼養するとなると"まき場"が必要になる。難波,大和,平安時代は河内国の旧河内湖周辺の肥沃湿地に繁茂するヨシを拠り所に馬飼部造を置いた。ついで信濃16牧を設けたが,その3/4は湖跡,河川敷のヨシ原を中心とし埴原牧と浅間山麓の3牧だけが丘陵地形上のススキ,チガヤが使われた。...

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  • アヴァール人とハンガリー人

    堀内 一徳 奈良史学 (12) 64-75, 1994-12

    ...小論では、カルパティア盆地に定着したアヴァール、ハンガリー人がどのように農耕、遊牧の生活を営み、かつハンガリー平原の牧草地がかれらの略奪経済の軍事力である騎馬戦力をどう規定したかについて、述べてみたい。...

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  • 日本 : ペレストロイカのモデル?

    木村 汎 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 8 11-38, 1993-03-30

    ...戦後日本の驚異的な経済復興および繁栄は、軍事力を国の発言力を増大する源泉と見ずに、むしろ非軍事部門の充実を重視した点にある。ゴルバチョフが「新思考」のキャッチフレーズ下に「安全保障を確保するためにすら軍事力の限界が存在する」ことを指摘したのは、偶然の一致といいうるかもしれないが、戦後日本の経験を遅まきながら学んだからだともいいうる。...

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  • 集大成としての江戸城

    千田 嘉博 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 50 239-260, 1993-02-26

    ...江戸幕府が軍事力を背景としながら実際の戦争ではなく,儀礼等によって権威を示したことと対応した構造変化といえる。江戸城に見られた近世における城館の戦う場から儀礼の場へという変容は,日本の城郭が行き着いたひとつの姿であった。...

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  • 「呂氏春秋」の義兵説 : 「墨子」「司馬法」との対比

    湯浅, 邦弘 島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 25 61-75, 1991-12-25

    ...特に、強大な軍事力を背景に次々と他国を制圧し天下統一を推進する秦にとっては、危急の課題の一つであったとも言えよう、  この秦の軍事思想を考察する際、看過し得ない基礎的文献として挙げられるのは、宰相呂不韋が食客数千人に編纂させたという『呂氏春秋』である。...

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  • <論説>北朝隋唐時代における胡族の通婚関係

    長部 悦弘 史林 73 (4), 510-549, 1990-07-01

    ...北朝隋唐時代の政治史は、唐代においてはそのトーンを弱めるが、北魏の建国者であり且つ軍事力の担い手であった鮮卑族と最初その膝下に屈したが徐々に官僚として北魏政権に出仕していった漢族との合作・融合がその基調の一つであったことは否定できないであろう。両者の合作・融合は北魏孝文帝の漢化政策を一大契機に進むが、それは一挙に成し遂げられたのではなく、一度北魏末年の動乱を経て、深化していく。...

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  • ソ連の新社会経済発展戦略

    郭 伝玲 法政研究 54 (1), 205-217, 1987-09-19

    ...ソ連は、経済力と軍事力を強め、国内の政局を安定させるとともに、軍備競争や世界の新しい科学技術革命などの挑戦に対処するため、社会経済の発展を促進する新しい戦略をつくりだした。この新しい戦略は、より開放的な指導方針や経済発展の加速化、総合的管理の実現、外交政策との結びつきの強化などに重点をおいているところに特徴がある。...

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  • <論説>十一世紀ビザンツにおけるイエ・地域社会・皇帝 : ケカウメノス『ストラテギコン』再考

    井上 浩一 史林 69 (4), 541-567, 1986-07-01

    ...また従者の武装という形で軍事力も備えていた。しかしその農業経営は安定したものではなく、軍事面でも、イエは独自の防禦施設をもっていなかった。他方イエ支配者=家長は地域社会において一定の権限を、みずからのイエ支配を基盤として、行使していた。しかし上記のような弱さをもつビザンツのイエは閉鎖的な小宇宙ではありえず、外部世界、とりわけ国家の官職・位階と結びつく傾向を示した。...

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  • <論説>広東国民政府における政治抗争と蒋介石の抬頭

    北村 稔 史林 68 (6), 927-965, 1985-11-01

    ...この争いは靡仲愷の暗殺事件を機に急展開をとげ、蒋介石の率いる軍事力にもとづき胡漢民や許崇智らの対立分子の一掃が行われ、蒋介石、汪精衛、ボロディンからなる新指導部が成立した。つづいて国民政府は蒋介石を総司令として宿敵の陳炯明を打破し、広東全省を統一して体制を強化した。...

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  • <論説>第一次国共合作の展開について

    北村 稔 史林 66 (4), 516-555, 1983-07-01

    ...この課題を実現した原動力は、蒋介石を校長とする黄埔軍官学校で養成された軍事力であった。この軍事力を核として二五年の一月には宿敵の陳炯明が打破され、更に六月には内部の癌であった楊希閔と劉震寰の率いる軍隊が粛清される。そしてこの基礎の上に七月には国民政府が樹立され、国民革命への第一歩が踏み出された。しかし国民政府内部には新たな対立が発生し、状況は再び波瀾をむかえることになる。...

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  • <論説>「アステカ帝国」の成立過程 : 土着史料による試み

    小林 致広 史林 58 (2), 289-328, 1975-03-01

    ...それは、制圧した地方の旧領主の有していた政治的領域支配を改変することなく、軍事力を背景に受け継ごうとするものであった。このため遠隔地方では各プエブロはメヒカに服属してはいるが相互に紛争を起すという一種の無政府状況が生まれつつあった。そして、その克服・統一は、メヒカの手による「アステカ帝国」の完成によってではなく、その破壊者コルテスによって成された。...

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  • <論説>細川・三好体制研究序説 : 室町幕府の解体過程

    今谷 明 史林 56 (5), 623-695, 1973-09-01

    ...次に大永末~天文の細川晴元政権時代を、古文書学的方法に依りつつ支配構造を究明し、その京都支配は管領代-山城郡代という体制であり、その中核は摂津国衆の軍事力であることを検証した。また晴元被官奉書の分析の結果、幕府奉行人奉書に追随して「管領代添状」が発給されている事実を明かにし、この添状は主として在京権門=荘園領主により正当化されていることを論証した。...

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  • <論説>院政政権の軍事的編成

    井上 満郎 史林 55 (3), 306-330, 1972-05-01

    ...しかし、この健児もほとんど軍事的な意味をになうことなく矮少化し、ついには国家は国家の手によって軍事力の基本から組織するということをやめ、既製の軍事力を臨時的に利用するところとなる。十世紀より以後の、とくに将門の乱以後の軍事力はこうしたものであり、院政政権についても一定の官職を媒介として民間に在る武力をとりこんで自己の軍事力に編成する。...

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  • <論説>魏源経世思想考

    大谷 敏夫 史林 54 (6), 827-869, 1971-11-01

    ...対外政策においては、外国の兵器・養兵の長所は率直に認めて、それを取り入れ欧米列強と対抗できるだけの軍事力を養う。貿易においては、従来の中華独断貿易でなくて、合理的な貿易関係の樹立が模索される。この魏源の思想は、中国にあっては洋務・変法論へと継承され、また幕末の日本にも影響を与えている。...

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  • <論説>中世後期島津氏の権力構造

    稲本 紀昭 史林 51 (3), 303-331, 1968-05-01

    ...だが、それは領主、農民間の矛盾が頂点に達したことを意味し、農民の逃散は盛んに行なわれ、この矛盾の激発をおさえるため、軍事力増強がたえず要請され、領土拡張戦が行なわれる。...

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  • <研究ノート>清仏戦争期における日本の対韓政策

    彭 澤周 史林 43 (3), 452-471, 1960-05-01

    ...しかし、李鴻章は、フランスに対して妥協政策を主張したので、清国の軍事力は弱体化を免れなかつた。この戦争は李朝政府を不安な状態に陥し入れた。消極政策を考えていた井上は、ここに一転して伊藤らと共に金玉均らの独立党を援助して甲申変乱を惹起した。明治政府が、一方で、資本主義フランスに協力して日本の国際地位を向上せしめながら、同時に朝鮮の独立をはかつたことは、一挙両得の外交方針であつたといえる。...

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  • <論説>長州藩における慶応軍政改革

    田中 彰 史林 42 (1), 104-124, 1959-01-01

    ...それは変革期においては、とくに軍事力に端的に指導・同盟関係が示され、改革派同盟と対比してその差を明確になしうると思つたからである。この慶応軍政改革による討幕派「軍事官僚」の指導権の確立-それが本稿の課題であり、結論でもある。...

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