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  • 1830年代のロシア外交におけるコミットメント問題

    矢口, 啓朗 関東学院大学人文科学研究所報 46 43-65, 2023-02

    1830年代のロシア外交は、(1)イギリスの四国同盟への関与の不透明性(2)同盟国オスマン帝国の脆弱性から生じた2つのコミットメント問題を抱えていた。1830年11月のイギリスにおける政権交代は、英仏のイデオロギー的接近をもたらした。フランス七月王政を警戒するロシアにとって、イギリスのフランスへの態度は疑わしく、曖昧なものに映った。また1833年7月8日に締結されたウンキャル・スケレッシ条約は、…

    機関リポジトリ

  • 中東におけるアイデンティティー複合のダイナミックス : 図解教材を用いる授業計画

    板垣 雄三 日本中東学会年報 16 (0), 1-26, 2001

    ...01 19世紀のオリエント概念 02「冷戦」下の中東概念 03 中東と中央アジアの連結の新段階 04 地域としての中東を超えた中東問題 05 ポスト冷戦期の世界=「世界の中東化」06 十字軍 07 東方問題 08 西欧の発明としての「二つの世界」論と「モザイク社会」論 09〜14 パレスチナ問題 15 ヨーロッパ中心主義の鋳造 16 中東における「族」的結合の可変的形態 17 中東の宗教・宗派一覧...

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  • 亡命ポーランド人とオスマン帝国 : 19世紀中葉

    早坂 真理 日本中東学会年報 2 (0), 166-186, 1987

    ...東欧近代史におけるオスマン帝国の位置は,いわゆる東方問題との関係において大国の視点でのみこれまで語られ,とりわけロシアのニコライー世の"瀕死の病人"という表現のなかに象徴的に示されているといえよう。...

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