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検索結果 854 件

  • 赴日元僧东陵永玙书法考略

    康 佳琦 東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian cultural interaction studies 14 277-287, 2023-03-31

    As the last monk who went to Japan from China in Yuan Dynasty, Donglingyongyu was not only played a positive role in promoting the Buddhist interactions between China and Japan, but also made a …

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  • マインドフルネス・瞑想ヨーガにおける坐禅とかたち : 文献からの再考

    田中, 俊明 四天王寺大学紀要 (71) 247-261, 2023-03-25

    ...そこで、過去のレビューから、マインドフルネス・瞑想及び、禅等には共通した手の形があり,いわゆる手印「かたち」に着目し、先行文献から再考した結果、禅宗から継承されていた。つまり、坐禅の「かたち」は、瞑想における「ポーズ」として影響を受けており、その行為が、薬物効果の期待できない慢性疾患においても、治療的効果が期待されていた。...

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  • 中世後期の祠堂銭運用について

    綿貫 友子 国民経済雑誌 227 (3), 43-58, 2023-03-10

    ...中世,主に禅宗寺院で行われた金融である祠堂銭の貸付・運用主体として先行研究が注目したのは京及びその近郊の土倉や禅家であったが,16世紀前期,大徳寺への祠堂銭寄進とその貸付・運用では寺内の塔頭や僧侶以外に多数の堺商人が関わっている。...

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  • 『西方要決釈疑通規』の思想的位相 : 恭敬修の系譜と関連して

    加藤, 弘孝 仏教学部論集 107 15-30, 2023-03-01

    ...基(六三二―六八二)撰述と伝わる『西方要決釈疑通規』(通称『西方要決』)は、三階教、禅宗、兜率天信仰をはじめとする他学派への対外観が見られ、中国仏教思想史研究において重要な研究対象と成り得る浄土教典籍である。しかしその成立背景はいまだに明らかになっておらず、思想史上に本書を位置付けることができないのが現状である。喫緊の課題としては『西方要決』撰述者の問題がある。...

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  • 袾宏の禅思想

    苑, 克柱 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 51 1-12, 2023-03-01

    ...批判者はシュ宏の双修論は禅の本来的な特色を喪失させることになったと非難したが、シュ宏の禅浄双修の提唱は、むしろ禅宗の弊を救おうとしたことによるのであって、それを無視してしまっているのである。...

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  • 『門』 : 宗助の〈発心〉と漱石の〈禅〉

    下山, 孃子 大東文化大学紀要. 人文科学 61 420(15)-401(34), 2023-02-28

    ...作中における宗助の禅宗に関する知識の無さと、参禅に至る落差を見、その上で、作家漱石の参禅と、同時期に参禅している心理学者・元良勇次郎の報告書を検討する。〈修善寺の大患〉と漢詩の関係にも言及する。...

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  • 日本に遺存する一山一寧禪師墨蹟とその編年稿

    髙津 久仁枝 アジア民族造形学会誌 18 (01), 44-54, 2022-08-27

    ...<はじめに> わたくしは一山の墨蹟と禅宗史に関わってこれまでよりより立体的な一山像と日本禅宗史全体の中で一山が日本に与えた影響で何か提言することはできないかと思いそれを目的に研究をすすめている。その方法としては一山の年譜と墨蹟表をつくり、そして日本禅宗史とのつながり、また一山がどのような人とかかわりがありそれが墨蹟にどのように反映しているかなどを今後の課題として研究をしてゆきたい。...

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  • オンライン化に伴う坐禅会の再構築

    東島 宗孝 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2022 (0), G08-, 2022

    ...坐禅を含む禅宗の修行は師弟間の以心伝心や無言行を重視し、実践共同体によってその修行形態を維持してきた。しかし、非対面での坐禅実践では、共同体内の前提や儀礼的要素が抜け落ち、無言行自体が変容する必要性に迫られている。本論では変化を描写しつつ、坐禅実践がどのように再構築されているか考察する。...

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  • 李華撰『故左溪大師碑』をめぐる諸問題

    長倉 信祐 印度學佛教學研究 70 (1), 81-86, 2021-12-20

    <p>Li Hua 李華 (715/717-766/774), a disciple of Zhanran 湛然 (711-782), produced an inscription recording the achievements of Zuoxi Xuanlang 左渓玄朗 (674-754), the <i>Gu Zuoxi dashi bei</i> 故左溪大師碑. Atsushi …

    DOI Web Site 参考文献4件

  • 中国初期禅宗諸派の呼称について

    通 然 印度學佛教學研究 68 (2), 759-763, 2020-03-20

    <p>The period between the 8th and 9th centuries was an important one for the formation and development of Chan Buddhism. During this period, early Chan schools such as the Northern 北宗, Southern 南宗 …

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  • 高麗前期王師任命と國際情勢

    中村 慎之介 東洋史研究 77 (3), 365-402, 2018-12-30

    ...Jijong was the last royal preceptor, who came from the Seon school 禪宗. For about 80 years following Jijong, royal preceptors were representatives of the Hwaǒm school 華嚴宗 and the Beopsang school 法相宗....

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  • 中世漆器の技術転換と社会の動向

    四柳, 嘉章 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 210 29-47, 2018-03-30

    ...禅宗の影響による汁物・雑炊調理法の普及は,摺鉢の量産と食漆器の普及に拍車をかけた。朱(赤色)漆器は古代では身分を表示したものであったが,中世では元や明の堆朱をはじめとする唐物漆器への強い憧れに変わる。16世紀代はそれが都市の商工業者のみならず農村にまで広く普及して行く。...

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  • 禅宗四祖道信の一行三昧

    中島 志郎 印度學佛教學研究 66 (2), 493-503, 2018-03-20

    <p>The fourth generation Chan patriarch Daoxin (道信 580–651) is considered to be the de facto founder of Chan. Characteristics of his cult can be found in the Bodhisattva precepts (梵網経 …

    DOI Web Site Web Site 被引用文献1件

  • 京都大学文学研究科図書館寿岳文庫蔵「古則聞書零本」翻刻・解説

    山本 佐和子 同志社国文学 (88) 50-66, 2018-03-20

    京都大学文学研究科図書館寿岳文庫蔵の「古則聞書零本」と称される文献についての解説、および、全文の翻刻である。解説では、当該文献が大徳寺派系密参録についての講義の聞書であることを明らかにした。また、収録される五つの古則についての問答のうち、第一則目「趙州栢樹」の引用歌と能狂言「鹿狩」(現行「左近三郎」)の引用歌の一致から、「鹿狩」が密参禅を風刺した作品である可能性を指摘した。

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  • 宗教共同体における死と私有財産

    金子 奈央 宗教研究 91 (2), 73-98, 2017-09-30

    <p>本稿では、唱衣法の意味と働きについて経済面と送葬儀礼という二つの観点から考察した。第一に、テキストの記述によれば、唱衣法の実施によって関わる三者に利益がもたらされる。一般僧侶には分配金が、叢林には唱衣の純利益から収入を得る事が記載されるとともに、遺品を叢林に委託することによって死者も利益を得るといえる。</p><p>第二には、送葬儀礼という観点からは、唱衣法とは、共同体の直面する死という危…

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  • 南宋時期における日中文化交流 : 禅僧交流を中心に

    何 忠礼, 柏崎 有里 岩手大学平泉文化研究センター年報 5 105-114, 2017-03-30

    ...両国の禅僧は、学識を有した集合体としてこの時期の文化交流の主体をなし、彼らは日本における禅宗の大躍進を促進しただけでなく、建築・医薬・音楽・絵画・茶道・園林・飲食・書籍・生活習慣といった各分野においても幅広く交流を持ち、両国民に利益をもたらした。...

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  • 〈論文〉十牛図現代考―己事究明論としての十牛図とその可能性

    山下, 弥生 近畿大学教養・外国語教育センター紀要. 外国語編 7 (2), 57-69, 2016-11-30

    ...また、禅宗における書物という枠組みから離して考えた場合、十牛図は己事究明論である。さらに、十牛図をネオジャポニスムと呼ばれる昨今の日本ブームの中で検討すれば、十牛図は日本文化の中で欠落しつつある深い精神性の回復に役立つ可能性を有する。...

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  • 栄西呼称の変遷と禅宗の変質

    斎藤 夏来, 谷舗 昌吾 岡山大学大学院教育学研究科研究集録 161 (1)-(12), 2016-02-25

    ...国内仏教の一宗派へと転身した近世禅宗の周辺で、栄西の国際的な呼称であった「千光」と、天皇帰依僧への尊称であった「国師」とを組み合わせる動きがあったと想定した。...

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  • 禅宗成立における民俗仏教との関係

    渡部 正英 宗教学論集 2016 (35), 113-132, 2016

    The Zen sect is based on the concept “Zazen,” which means “to sit in meditation.” It is said that it was introduced from China by Doushou( 道昭) in the Nara period. While Zen's important religious …

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  • 南宋法常画对日本绘画的影响

    郭, 大兴 東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian cultural interaction studies 8 127-139, 2015-03-31

    ...随着禅宗文化的交往,中国绘画以南宋法常禅画办代表的绘画艺术极大程度的影响了日本室町及后期几百年水墨画的发展。说明了中国绘画在历史上对日本绘画的影响是巨大的。Sino Japanese cultural exchange histoly....

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  • 中国禅宗寺院で詠まれた題詩と「境致」の関係

    平出 美玲 日本庭園学会誌 2015 (29), 29_23-29_47, 2015

    ...日本の禅宗寺院で伝統的に選定が行われてきた「境致」や、それに伴って詠まれた「十境詩」は、南宋五山制度を導入した時に中国禅宗文化の一つとして日本でも知られるようになったと考えられている。これまでに成された「境致」に関する先行研究でも、中国禅宗寺院の影響を受けて日本でも「境致」選定や「十境詩」作成が行われるようになったという解釈がされている。...

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  • 一山一寧研究述評

    霍 耀林, 車 才良 International Journal of Human Culture Studies 2015 (25), 65-69, 2015-01-01

    ...<p> 一山一寧作為中日交流史上非常有代表性的高僧,他到達日本不僅帶去了元朝的使命,也給日本社會帶來了非常大的影響.他在日本開創了臨濟宗一山派,他的門下高僧輩出,開創了後世禪宗以及儒學的新局面.一山一寧圓寂後,虎關師煉根據其生平寫出《一山國師行狀》,此後,關於其研究從生平到其他各個方面,不斷展開,開拓了中日一山一寧的新研究領域....

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  • <論説>鎌倉禅の形成過程とその背景

    中村 翼 史林 97 (4), 570-599, 2014-07-31

    ...政変後、幕府は、鎌倉顕密仏教界の再編とともに禅宗保護を開始する。一方、幕府に先行して禅憎を庇護した九条道家は、政変で失脚。円爾ら道家外護下の禅僧は幕府に接近し、円爾が南宋との人脈を生かして渡来僧の蘭渓道隆が率いる鎌倉禅の成長を促した。...

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  • 国立歴史民俗博物館蔵五山版目録解題

    住吉 朋彦 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 186 31-81, 2014-03-26

    ...また地方の禅院や、禅宗以外の寺院への流布を示す等、五山版の流通を基礎とする、中近世の学問の広がりを証言する点は貴重であり、その他、近世、近代の学者、蔵書家に用いられた点も注意される。そして、当時一流の蔵書家の見識により選択された諸伝本には、整った早印の完帙が多く、書物としての五山版の意義をよく発揚している。...

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  • 在家仏教者・辻光文の初期の福祉実践 : 禅宗と在家仏教徒(2)

    澤野, 純一, SAWANO, Junichi 花園大学社会福祉学部研究紀要 = Annual report of the Social Welfare Department at Hanazono University / 花園大学社会福祉学部 編 22 59-79, 2014-03

    児童自立支援施設(当時の教護院)で福祉実践を展開した辻光文は、仏教者として本物の道を求めるにあたって、あえて僧侶にはならず、在家仏教者として生きる道を選択した。27歳の時に初めて児童福祉分野の仕事に出会い、その後、児童自立支援施設の小舎夫婦制を知るにあたって、自分の進むべき道を見出す。後年、辻の仏教者としての歩みと福祉実践者としての歩みは、同一線上に重なり、深い仏教理解による「いのち」への眼差し…

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  • 八脚門にみえる棟持柱構造の建築的意義

    滝澤 秀人, 土本 俊和 日本建築学会計画系論文集 79 (701), 1631-1640, 2014

    In the past, several researchers regarded such eight pillared gates with Munamochi-bashira structure as a part of the family of Zenshu-yo (traditional Zen-style architecture) four pillared gates. …

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  • 禅宗と在家仏教徒 : 若き日の辻光文 : 僧侶ではなく在家仏教徒として生きるまで

    安田, 三江子, 澤野,純一, YASUDA, Mieko, SAWANO,Jyunichi 花園大学社会福祉学部研究紀要 = Annual report of the Social Welfare Department at Hanazono University / 花園大学社会福祉学部 編 21 15-29, 2013-03

    ...禅宗に関心をよせる人の実践がさまざまな分野で私たちのくらしに大きな影響を及ぼし、くらしの創造に貢献している。その実態と理由の探求のため、禅宗及び禅仏教徒の思想と行動を研究することは重要であるといえよう。本稿では、児童福祉分野における実践者辻光文が、僧侶ではなく在家仏教徒としてみずからの道を生きていくようになるまでを考察することから、このテーマにせまる。...

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  • 北海道における仏教寺院の分布について

    永幡 豊 Geographical Studies 88 (1), 6-13, 2013

    ...東北は禅宗の卓越する地域であり,北陸は浄土真宗系の卓越する地域であることから,北海道に浄土真宗(特に大谷派)・禅宗(特に曹洞宗)系寺院が多く建立されることになったと推測できる。真宗本願寺(西本願寺)派寺院総数は,真宗大谷派より148寺少ないが,これは北海道における真宗大谷派と江戸時代における松前藩との結び付きがあったからである。...

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  • フラクタル次元を援用した眺望景観記述の試論

    土久 菜穂, 山本 明 都市計画論文集 48 (3), 321-326, 2013

    ...・谷戸地形を活かした中世鎌倉では、山稜を遠景として望むことが稀であり景観的な複雑さは乏しいが、幕府に庇護され山裾や谷戸周辺に立地する禅宗・新義律宗の寺院と、迫害され平地や海岸線周辺に立地する日蓮宗の寺院からの山稜景観には差異があった。...

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  • 苔より桜 : 西芳寺における夢窓疎石と禅宗

    ヴァラー モリー 日本研究 46 31-43, 2012-09-28

    ...また『年譜』には、桜を媒介として、西芳寺が禅宗の所定の目的地として描かれていることを明らかにした。以上の過程で、夢窓の西芳寺においては、禅宗が当寺の寺院の伝説に移植されつつ、当寺が禅宗の歴史伝説において重要な位置を得たことを論じた。...

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  • 火車の誕生

    勝田 至 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 174 7-30, 2012-03-30

    ...それとともに戦国末には禅宗の僧が火車を退治する話も流布し始めた。葬列の際の雷雨を人々が気にするのは、中世後期に上層の華美な葬列が多くの見物人を集めるようになったことと関係がある。猫が火車とされるようになるのは十七世紀末のころと見られる。近世には猫だけではなく、狸や天狗、魍魎などが火車の正体とされる話もあり、仏教から離れて独自の妖怪として歩み始める。...

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  • 『空華日用工夫略集』にみる14世紀後半の禅宗庭園観に関する研究

    関西 剛康 日本造園学会 全国大会 研究発表論文集 抄録 2012 (0), 5-5, 2012

    ...本研究は、この『空華日用工夫略集』の記事を調査対象にして、14世紀後半の禅宗庭園が実際にどのように使用されていたかについて研究を行った。文献調査の結果から禅宗庭園には、主に3つの用途がみられた。主な用途は、第1に座禅修行としての場、第2に詩を作る場、第3に春の花や秋の紅葉、冬の雪景色などの花見や眺望景観を楽しむ場であった。...

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  • 近世王権の墓制とその歴史的脈絡

    松原, 典明 周縁の文化交渉学シリーズ3 『陵墓からみた東アジア諸国の位相―朝鮮王陵とその周縁』 181-194, 2011-12-31

    ...将軍家の墓制については,特に将軍が霊廟として祀ら れるが,その系譜は,中世禅宗における開山堂,昭堂の系譜にあることを類例など確 認しながら示した。さらに,将軍を中心とした実質的な権力下にあった構成員である 大名の墓制の実態と,造墓の背景となった,思想,宗教,政治的な関係について類例 を示しながら紹介した。...

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