澁澤写真に写しとられた景観を読む

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タイトル別名
  • Landscape in Pictures of Shibusawa Collection
  • A Case Study of Amamioshima in the Early Showa Period
  • 昭和初期の奄美大島の事例

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抄録

1.記録としての写真、資料としての写真<br> 今日、フィールドにおいて写真を撮影しない地理学者や民俗学者は存在しないのではないか。フィールドでの調査を終え、一つの成果をまとめる段階になって写真を眺めた時、あらためてその地域を確かめなおすこともしばしばである。あるいは他者にフィールドを示す場合、写真は見る者に具体的なイメージを伝え、地域を理解させる上で有効な手段となる。実際、写真を用いて地域を記述した書籍が地理学者によって多数出版されている。ただし、このような写真の利用は記憶を呼び戻し、フィールドを説明するという「記録」としての枠組みを超えるものではない。しかし、最近では、他者が撮影した写真を、資料としてどう扱うべきかという論議が活発になっている。撮影者の主観(何かを撮ろうとする行為と視点)と写真の中に現れた事物の客観的判断が重要な課題となっている。<br> 2.澁澤写真について<br> 周知のように澁澤敬三は澁澤榮一の孫であり、第二次世界大戦以前は日本銀行総裁、戦後は大蔵大臣等の要職を務め、財界人として活躍した。その一方で、澁澤敬三はアチックミューゼアム(屋根裏博物館)を立ち上げ、多くの歴史・民俗資料を収集し、研究を行った。1930年代には日本各地においてフィールドワークを実施している。その調査の中で、澁澤敬三は「人」や「もの」、「景観」など地域や民俗を記録した数多くの映像資料を残した。これらはスチール写真と18mmフィルムの形で神奈川大学日本常民文化研究所に保管されており、昭和初期の日本各地の景観を分析、あるいは現在の景観との比較考察を行う上で、貴重な資料となりうる。<br> 3.写しとられた景観<br> 撮影という行為のもとに写真を語れば、すべてが主観の中に埋没してしまう。一見、写真には客観性など存在しないかのようにさえ思える。しかしながら、写真には撮影者が意図しなかった多くの景観と事物が写しとられている。澁澤フィルムもその例外ではない。地理学者が景観を考える場合、当然「地域性」を念頭におくのが普通である。この「地域性」を写真の中の景観をもとに考察する際、何を「見る」べきか、その視点は次の2点にあるのではないか。<br> 一つは前述したような撮影者が意図しなかった、まさに偶然、「写しとられた」景観である。中心となる被写体以外の景観構成要素が客観的に地域性を表現する場合である。もう一つは中心となる被写体そのものが、撮影者の意図するところとは別に地域を象徴的に表現する場合である。<br> 本報告では、この二つの視点にもとづき、地域性を解明するための景観資料としての澁澤写真の可能性について、澁澤敬三が中心となって撮影した奄美大島の写真資料をもとに、若干の試論的考察を行ってみたい。<br><br>[付記] <br>本報告は神奈川大学21世紀COEプログラム「人類文化研究のための非文字資料の体系化」における研究拠点形成事業の一部である。<br>

収録刊行物

詳細情報

  • CRID
    1390282680669933824
  • NII論文ID
    10012721295
  • NII書誌ID
    AA1115859X
  • DOI
    10.14866/ajg.2004s.0.164.0
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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