<論説>室町幕府の「御料所」納銭方支配

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タイトル別名
  • <Articles>The System and the Position of Nassenkata 納銭方 as one of 'Goryosyo 御料所' on Muromachi Bakufu Finances
  • 室町幕府の「御料所」納銭方支配
  • ムロマチ バクフ ノ ゴリョウショ ナッセンカタ シハイ

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抄録

室町幕府の納銭方は、納銭(酒屋・土倉等諸商売役銭) の徴収・収納を行う幕府機関、あるいはその請負機関とされてきたが、「御料所」と表現される場合は、納銭そのものないしはその賦課対象としての酒屋・土倉を指していたと考えられる。 幕府は当初、山徒の有力土倉からなる既存の組織を「土倉方一衆」として納銭徴収に利用していたが、嘉吉の土一揆以降納銭収入が減少すると、政所奉行人による直接把握とし、さらにその後は数名の「納銭衆」(納銭方一衆) を個別に補任して、彼等にのみ納銭徴収権とそれに伴う得分権を認めることとした。以後それは特権的な地位となり、幕府はそれを改替することによって減少しつつある納銭収入の維持につとめたのであった。 月々の納銭は将軍家の日常的経費や政所年中行事要脚にあてられ、将軍家の衣食にあてる直轄所領とともに、将軍家・政所の日常的運営に不可欠な経費を支える財源であったからこそ、納銭方も「御料所」と認識された。そして「幕府―守護体制」が変質する十五世紀半ば以降、臨時課役の賦課など、直轄財源としての納銭方支配も強化されるのである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 84 (5), 651-683, 2001-09-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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