パロディのある日本語教育

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タイトル別名
  • Teaching Japanese through Parody
  • パロディ ノ アル ニホンゴ キョウイク

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抄録

パロディには、1)原典、2)模倣(敬愛)、3)作り変え(批評性)が不可欠である。また、多くの場合、4)滑稽味を伴う。その語源「パラ」には、対立と親密性の両義が含まれている。本稿はこうしたパロディの特徴、とりわけその二重性と批評性、カーニヴァル的な再生予祝機能に注目し、それを利用した日本語教授法を考察する。 四技能習得の手段としてパロディを用いる場合、とくに読み・書きでは、能動的・開放的な作業を促すことができる。それとともに、文学離れの現状や日本に対する固定観念に対処するためにも、パロディ使用は有効である。その場合、従来文学テキストを扱うときにありがちだった大作家や名作、日本らしさ志向、小説偏重に捕われずに、翻訳や読解以外の方法を積極的に取り入れたい。 例として、筒井康隆による『サラダ記念日』のヤクザ版パロディ、「カラダ記念日」と、井上ひさしの『吉里吉里人』の一節を使う授業を取り上げる。前者では、短歌や文語文法についての予備知識もない学生に、比較的短時間で本歌とパロディを比べさせ、自作のパロディ短歌を作らせるところまで持っていく。後者では、『坊っちゃん』他名作の冒頭の吉里吉里語訳と日本語の原文、すなわちパロディの原典とを比べ読むことによって、学習者は、日本人なら誰でも知っている(はずの)名文に触れるとともに、パロディ特有のカーニヴァル的転倒を体験することができる。 限られた授業時間では、長大な文を扱うことはできない。しかし、その場限りの断片ではなく、過去や未来とつながるものをめざしたい。それには、パロディが大いに役立つと考える。

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被引用文献 (1)*注記

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