高い島と低い島の交流 : 大正期八重山の稲束と灰の物々交換  [in Japanese] Intetchange between High and Low Island : Barter of Paddy and Ash in Taaisho Era Yaeyama,Ryukyus.  [in Japanese]

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Abstract

日本南端の八重山諸島は、山と川と田がある高い島(田国(タンダン)島)と平坦な隆起サンゴ礁の低い島(野国(スングン)島)とからなっている。田国島である西表(いりおもて)島とその東の野国島である黒島は,昔から物々交換によって結ばれていた。主な交易品は、西表島からの稲束と水田の肥料としての黒島のソテツの葉の灰で、西表島の白米と黒島の麦・豆・海藻の贈与交換も盛んだった。1477年の済州島漂流民の記録は、西表島と周辺の低い島を結ぶ米の交易網の古さを示している。その後1637年から1902年(明治36年)まで続いた人頭税の制度のもとで黒島を除くほとんどの低い島の住民は西表島に通って水田耕作することを強制された。この結果、稲作をおこなわない黒島だけが西表島との交易を続けることになった。稲束と灰をめぐる両島の物々交換は、現金使用がひろまる大正時代も続き、1930年(昭和5年)頃に稲の新品種・蓬莱米(ほうらいまい)が普及し、化学肥料がひろく使われるようになって終わりをつげた。両島問以外の交易活動との比較を踏まえて、以下の点が結論できる。(1)八重山内部の交易は,隣りあう地域の立地と生業の違いに基づいていた。(2)一方、それは悪性マラリアの伝播・津波の災害といった歴史的事件、人頭税下の稲作の強制・移住の禁止などの政治的な制約によっても大きく左右された。(3)もっとも大きい購買力と一定の単位をもつ稲束は「貨幣」の役割を果たした。(4)この「貨幣」を生産することができない黒島の人々は、みかけは対等な交易関係のなかで従属的な地位におかれることがあった。

Journal

  • Japanese Journal of Ethnology

    Japanese Journal of Ethnology 53(1), 1-30, 1988

    Japanese Society of Cultural Anthropology

Cited by:  1

Codes

  • NII Article ID (NAID)
    110001100387
  • NII NACSIS-CAT ID (NCID)
    AN00408358
  • Text Lang
    JPN
  • Article Type
    Journal Article
  • ISSN
    00215023
  • NDL Article ID
    2905773
  • NDL Source Classification
    E31(民族学・文化人類学)
  • NDL Source Classification
    ZG1(歴史・地理)
  • NDL Call No.
    Z8-240
  • Data Source
    CJPref  NDL  NII-ELS  J-STAGE 
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