興亜会のアジア主義と植木枝盛のアジア主義 "Asianism" of Koakai and Ueki Emori

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抄録

1880年設立の興亜会は近代日本最初にアジア主義組織であり、そこには大きく分けて五つの担い手を異にするアジア主義の思潮があった。日本の文明開化の先進性を意識した日本盟主論の強いものからそうではなくアジアの対等性に重きを措くものまで、日本とアジア(おもに朝鮮中国)との関係性についてはニュアンスの違いがあった。それは思想の重点を日本ナショナリズム(国権拡張)におくか、アジア地域主義(興亜主義)におくか、の違いに照応していた。しかし、そこに共通するのは通商貿易をとおしてのアジアの基本的には水平関係形成の志向性であった。これは日清戦争後の軍事力を背景とする垂直関係形成の志向性とはことなっていた。そのようなアジア主義を初期アジア主義と規定してみたい。

Koakai was founded in 1880. It was the first "Asianism" organization in modern Japan, and it had five separate branches of thought. Koahai advocated a policy of basic equality with other Asian countries, which differed from the ethnocentric thought that prevailed throughout Japan at the time. Koakai sought to pursue and shape relations with other Asian countries through fair commerce and trade rather than through superior military force, which was the prevailing thought after the Sino-Japanese War. This paper explores this phenomenon and proposes this period be known as "the first period of 'Asianism' in modern Japan."

収録刊行物

  • 福岡国際大学紀要

    福岡国際大学紀要 9, 67-73, 2003-02-18

    福岡国際大学・福岡女子短期大学

各種コード

  • NII論文ID(NAID)
    110002556634
  • NII書誌ID(NCID)
    AA11321205
  • 本文言語コード
    JPN
  • 雑誌種別
    大学紀要
  • ISSN
    13446916
  • NDL 記事登録ID
    6495384
  • NDL 雑誌分類
    ZV1(一般学術誌--一般学術誌・大学紀要)
  • NDL 請求記号
    Z71-C393
  • データ提供元
    NDL  NII-ELS 
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