近世後期における民衆宗教の伝播 : 丹後田辺牧野家領の黒住教

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タイトル別名
  • Mission of the Kurozumikyou in Tango-Tanabe clan : During the Last Days of the Tokugawa Shogunate
  • キンセイ コウキ ニオケル ミンシュウ シュウキョウ ノ デンパ : タンバ タナベ マキノケリョウ ノ クロズミキョウ
  • キンセイ コウキ ニ オケル ミンシュウ シュウキョウ ノ デンパ タンゴ タナベ マキノケリョウ ノ クロズミキョウ

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抄録

黒住教は江戸時代後期に黒住宗忠(1780-1850)によって岡山で組織された神道系の民衆宗教である。宗忠は自己の全生命と太陽神天照大神が合一する神秘体験から、神人不二の妙理を悟り、天照大神を万物の根源年、人間すべて平等に神の子であるとする現世利益の教説を説いた。彼の死後、弟子の努力で宗忠にたいし吉田神社より大明神号をうけることができた。黒住教は岡山藩内から次第に教線をひろげたが、その布教は丹後田辺藩領にもひろがっていた。その実態を田辺牧野家領の裁判記録を通じて明らかにすることができる。民衆の歴史史料として、裁判記録の利用がいかに有効であるかを実験してみた。記録自身は為政者の手になるもきてはあるが、そこに反映されているのは、吟味を受けた領民の信仰の姿である。それを通じて江戸後期の民衆の精神活動と行動がいかに活発てあったか,その行動範囲がいかに広かったかをしることができた。また、信仰を通じて血縁・経済活動などの民衆のネットが存在したことや、村を追放された罪人が父母や家族への孝養・介護の為に御構い場所にたちかえっている実態なども明らかになった。丹後田辺藩は他藩と比べて、異常なまでに他国からの宗教者の入国を拒否した藩であるが、その田辺藩にあってさえ、領民の新興民衆宗教への受容熱我根強かったことは驚くほどである。以上のように、裁判記録は民衆史の史料として大いに役立つことがあきらかである。

収録刊行物

  • 社会科学

    社会科学 (76), 31-52, 2006-03-03

    同志社大学人文科学研究所

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