拝田・牛谷の民 : 近世宇治・山田の非人集団

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  • ハイダ ウシタニ ノ タミ キンセイ ウジ ヤマダ ノ ヒニン シュウダン

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近世の伊勢神宮門前町、宇治・山田に居住する非人集団である拝田・牛谷について、参宮客、住民組織の三方会合・宇治会合、山田奉行などとの組織的な関係や経済的基盤、果たした役割、そして彼らが受けた社会的差別の内容と時期的な変化を考察した。拝田・牛谷の民は、清浄さを重んじ、また参宮客によって経済的に成り立っている宇治・山田にとって、その社会構造を維持するために不可欠な存在であった。彼らは伊勢国南部に広く分布する「ささら」と由緒の上で深い関係を持ち、芸能民・宗教者としての側面も持つ。重要な経済基盤として、諸国から訪れる参宮客から施される「蒔銭」がある。それは原初的には「祓い」としての意味を持ったが、非日常的な空間の賑わいを象徴するものであり、そして御師集団と拝田・牛谷の間で制度的に仕組まれたものでもあった。拝田・牛谷の民は、山田奉行の下では他地域の非人組織と同様に下級警察役を担い、また宇治・山田においては、住民が死穢を忌避するための社会的役割を負わされていた。それゆえに彼らは社会的差別を受けるが、特に一八世紀半ば以降に、経済的豊かさを背景に地位を上昇させる拝田・牛谷の民を、差別を制度化して統制しようとする動きが、三方会合・宇治会合によって進められる。その延長上に、山田奉行所による「同火」の禁止を厳密化させる政策があった。

論説 / Article

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