平塚らいてうの母性主義フェミニズムと優生思想 : 「性と生殖の国家管理」断種法要求はいつ加筆されたのか  [in Japanese] Mutterfeminismus und die eugenische Idee von Raicho Hiratsuka : wann hat sie die Forderung zum Sterilisationsgesetz "Geschlecht und Fortpflanzung unter staatlicher Kontrolle" in ihr Manuskript hinzugefugt?  [in Japanese]

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Abstract

1990年頃から「平塚らいてうは優生思想の持ち主」論が通説として流布している。その典拠とされるのが、平塚執筆の「避妊の可否を論ず」に記された断種法要求であるが、実は原稿は3種類あり、刊行時期も食い違う。では、フェミニズムの旗手である平塚は、いつ、どのようにして女性の「性と生殖の自己決定」から、「性と生殖の国家管理」断種法要求にまで暴走していくのか。平塚著作の検討を通して、新婦人協会の花柳病男子結婚制限法案の修正経緯を概観し、同時に民族衛生学会の永井潜やドイツ社会事業に精通する海野幸徳との比較から、「いか程の優生思想の持ち主なのか」を査定した。これは優生学歴史研究方法の再考であり、また第一波フェミニズムの最初の敗退の背景解明にも繋がるものである。

Journal

  • The journal of social sciences and humanities. Social works

    The journal of social sciences and humanities. Social works 21, 23-97, 2005-03-25

    Tokyo Metropolitan University

Codes

  • NII Article ID (NAID)
    110004865712
  • NII NACSIS-CAT ID (NCID)
    AN10183786
  • Text Lang
    JPN
  • ISSN
    03868729
  • Data Source
    NII-ELS 
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