戦国初期の宇喜多氏について : 文明~大永年間における浦上氏との関係を中心に

書誌事項

タイトル別名
  • センゴク ショキ ノ ウキタ シ ニ ツイテ ブンメイ ダイ エイネン カン ニ オケル ウラカミ シ ト ノ カンケイ オ チュウシン ニ

この論文をさがす

抄録

宇喜多氏に関する研究については、直家期を中心にして、既にいくつかの論文が公表されてきた。それらの主要学説は、宇喜多氏が浦上氏の被官人であったか否かという問題をはじめ、宇喜多氏の大名権力がいかなる条件のもとで形成されたか等々、戦国大名論を検討するうえで重要な論点を提示している。近年では、地域権力論・戦国期国衆論に関しても活発な議論が展開されており、宇喜多氏の研究はその好素材であると言えよう。そこで、小稿では能家以前の宇喜多氏‐文明-大永年間を中心に‐について、発給文書およびその動向を改めて検討し、浦上氏との関係を論じたものである。その結果、宇喜多氏は金岡荘を基盤として領主権を確立しており、浦上氏とは軍事的なレベルなおいて従属にあったことを指摘した。つまり、宇喜多氏は、被官人あるいは家臣として浦上氏配下に組み込まれておらず、領主間の緩やかな提携関係にあったのである。

宇喜多氏

浦上氏

赤松氏

戦国大名

地域権力

identifier:DO003400006490

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ