バルフの<ボヘミアの少女>とシュトラウス父子の<ジプシー娘のカドリーユ> : 19世紀中頃の音楽の流通と伝播に関する一考察

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タイトル別名
  • M.W. Balfe's The Bohemian Girl and Zigeunerin-Quadrilles by J. Strauss Senior and Junior
  • バルフ ノ ボヘミア ノ ショウジョ ト シュトラウス フシ ノ ジプシームスメ ノ カドリーユ 19セイキ ナカゴロ ノ オンガク ノ リュウツウ ト デンパ ニ カンスル イチ コウサツ

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抄録

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紀要論文

ヨハン・シュトラウス2世Johann Strauss (Sohn) (1825-99)は、1844年10月15日に父の反対を押し切って指揮者デビューを果たす。当時、父ヨハン・シュトラウス1世Johann Strauss (Vater) (1804-49)は妻子を捨て、愛人と暮らしていた。2世のデビュー以来、父子の関係は芳しくなかったが、1846〜47年に2人は同じオペラに基づく楽曲3曲をそれぞれ作曲した。これらはいずれもカドリーユであることから、カドリーユ対決といわれる。本稿では最初の対決作品<ジプシー娘のカドリーユZigeunerin-Quadrille>を取り上げ、作曲の経緯ならびに両者の様式を考察する。

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