翻刻 大隈言道自筆資料『自詠集中抄』--小林重治家集  [in Japanese] Transliteration: Ookuma Kotomiti's own handwriting <Jieisyutyusyou>: pupil's Kobayashi Shigeharu collection of tanka  [in Japanese]

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Abstract

江戸時代後期の福岡が生んだ歌人大隈言道に関する自筆資料の中から、飯塚歌壇における門下生の家集『自詠集中抄』を翻刻する。まず始めに大隈言道について紹介する。言道は、寛政十年(1797)に生まれ、慶應四年(1876)に没している。享年71歳。福岡薬院抱安学橋の商家の二男で、通称清助、池萍堂と号す。若き頃は、黒田藩士の二川相近に師事し、和歌や書を学んだ。天保三年頃から、多くの弟子を持ち、野村望東、貞貫夫妻らも入門する。天保7年、言道は歌に専念するため、39歳で弟に家督を譲り、福岡今泉の池萍堂(ささのや)に隠棲する。当時、鞍手古門神社の伊藤常足が、筑前北部、芦屋、黒崎、下関などの地域の人々を教育していたのに対して、言道は、福岡を中心として下級武士や町人達の和歌の指導を行った。早良、糸島、姫島、福間、久留米、田代、吉井、飯塚などに多くの門人を持った。特に飯塚では、納祖神社の神官青柳家と親しく、また、亀井南冥ゆかりの宝月楼の主人古川直道とも懇意で、それ故宝月楼は飯塚での歌会指導の折の言道の定宿であった。宝月楼と納祖神社の間には、遠賀川からの水をめぐらせて舟が横付けできた。言道を指導者として招いた古川直道、青柳直雄、そして、門下生筆頭の小林重治らが一緒に舟に乗り込み、風雅を楽しんだ姿が偲ばれる。小林重治は、酒造業を営み、言道の歌集『草径集』の出版の折には、最大の出資をし、援助を惜しまなかった人物である。『自詠集中抄』は、この小林重治の歌集である。重治の詠草を、師大隈言道がまるごと浄書してやり、その上から更に朱で添削を行っている。言道の実作指導と添削の跡を細かく知ることができ、かつ、門下生への和歌指導の実態をも明らかにすることができる貴重な資料であるので、ここに翻刻し紹介する。歌集の最後に、言道の丸印墨印「池萍堂印」があり、また蔵書印は、「飯塚 木村蔵」朱印。「木村家」は、小林家がもともと木村家であったのを、後に事情があり家名をもどしたものである。重治には、『壬戌謌撰』などの家集があり、言道の序で青柳直雄跋の紀行文『豊後の道記』、他にも言道との連作の歌集『荻葉集』が現在残っている。

Journal

  • Bulletin Kyushu Institute of Information Sciences

    Bulletin Kyushu Institute of Information Sciences 10(1), 80-74, 2008-03

    九州情報大学

Codes

  • NII Article ID (NAID)
    110007045536
  • NII NACSIS-CAT ID (NCID)
    AA11371994
  • Text Lang
    JPN
  • Article Type
    departmental bulletin paper
  • Journal Type
    大学紀要
  • ISSN
    13492780
  • NDL Article ID
    9473230
  • NDL Source Classification
    ZV1(一般学術誌--一般学術誌・大学紀要)
  • NDL Call No.
    Z71-C584
  • Data Source
    NDL  NII-ELS  IR 
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