『ニヤーヤ・ヴァールティカ』における刹那滅論証批判について On the Refutation of the Buddhist Theory of Momentariness in the Nyayavarttika on the Nyayasutra 3.2.10-11

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Abstract

仏教徒の主張する「およそ存在するものは刹那滅する」という刹那滅論をニヤーヤ学派の学匠達は盛んに批判している.彼らの批判は同学派の根本聖典『ニヤーヤ・スートラ』3.2.10-17,およびこれに対する注釈群において見られる.本稿の目的は,ウッディヨータカラによる副注『ニヤーヤ・ヴァールティカ』3.2.10-11において,彼がどのように刹那滅論を批判しているのかを示すことである.ウッディヨータカラが批判するのは,「変化に拠る論証」と言われる刹那滅論証である.これは,時間の経過に応じて身体に増大等の変化が見られることに基づいて,身体等の存在物が刹那毎に異なっていること,すなわち刹那毎に生じては滅するものであることを論証するものである.仏教徒によれば,体内で体液が刹那毎に次々と増加する時,身体は次々と増大する.そしてこのことは,各刹那において,以前よりも太った身体が生じ,痩せた身体が滅するということに他ならない.つまり,身体は刹那毎に変化しているのである.この論証に対するウッディヨータカラの批判の要点は,「変化」の解釈の違いである.仏教徒にとって「変化」とは「存在物の刹那毎の差異性」を意味するが,ウッディヨータカラにとっては,「一定期間存続する存在物の折々の差異性」を意味する.これゆえ,ウッディヨータカラは,変化の観察による刹那滅論証は不可能であることを主張する.彼にとっては,刹那滅性を前提としなくとも「変化」は別様に説明づけられるからである.たとえば,仏教徒の挙げる身体の例の場合,身体の増大は,身体の部分が,身体を構成していた以前の配列を放棄し,新たな配列を作り出すことによって成立する.「変化」の定義は各学派の存在論の違いに応じて一義的に決定され難く,「変化」は刹那滅論証の根拠として十分に説得力のあるものとは言えない.この点が,後代の仏教徒達が「変化に拠る刹那滅論証」を重視しない理由の一つであると考えられる.

Journal

  • Journal of Indian and Buddhist Studies (Indogaku Bukkyogaku Kenkyu)

    Journal of Indian and Buddhist Studies (Indogaku Bukkyogaku Kenkyu) 57(3), 1177-1182, 2009

    Japanese Association of Indian and Buddhist Studies

Codes

  • NII Article ID (NAID)
    110007160518
  • NII NACSIS-CAT ID (NCID)
    AN00018579
  • Text Lang
    ENG
  • Article Type
    特集
  • ISSN
    0019-4344
  • NDL Article ID
    10189164
  • NDL Source Classification
    ZH7(哲学・宗教--宗教--仏教) // ZH2(哲学・宗教--哲学)
  • NDL Call No.
    Z9-55
  • Data Source
    NDL  NII-ELS  J-STAGE 
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