トーマス・マンと女性

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タイトル別名
  • Thomas Mann and Women
  • トーマス マン ト ジョセイ

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抄録

マンの作品にはしばしば男を破滅させるファム・ファタールが登場する。それは,マンの女性に対する不信や恐れが形象化されたものである。独身時代のマンは特に女性への恐怖や嫌悪がつよく,もっぱら淫猥で冷酷な女性像を書いていた。母親が官能的で放縦な女性であったことも,マンの女性への不信感を形成した一つの理由である。マンは心情的には母親を愛しながらもその女性としての側面を憎み,現実には疎遠だった謹厳な父親に同一化しようとした。市民的なモラルを守って生きた父親を鑑とするマンは,資質的には同性愛に深く傾斜していながらも同性愛の道に深入りすることなく,並々でない克己によって異性愛者の道を歩もうとした。マンは意志的に異性愛者である自分を作り上げて結婚を果たし,六人の子供の父親になるのである。しかし,結婚以降もマンの芸術を根底で支えるのは,たとえば『ベニスに死す』に見られるような同性愛のエロスである。女性への恋愛が描かれている場合でも,それはかたちを変えた男性への恋愛である。たとえば『魔の山』のショーシャ夫人のなかには,かつて主人公のカストルプが愛した美少年のイメージが隠れていて,カストルプが最も愛しているのはその美少年なのである。  一方,マンの登場人物のなかには,作者自身の分身というべき系譜の女性たちが存在する。それは初期の『小さな幸福』の男爵夫人や,年配になってから書いた『エジプトのヨゼフ』のムト=エム=エネト,『欺かれた女』のロザーリエなどである。これらの女性たちはマンの分身であって,マン自身が実人生で抱いた美しい若者への情熱は,浮気性の夫を持つ妻の嫉妬や,自分より若い,美しい男を愛する女性の苦渋に満ちた情熱に置き換えられて表現されている。同時に,ムトやロザーリエのなかには,結婚していたときも,また寡婦となってからも社交に積極的で,家族外の男性とでも気軽に口を利いたマンの母親の姿が見え隠れするが,それは若いころに描かれた女性像のように否定的なものではない。結婚生活を大過なくこなし,家長としての経験を重ね,男性としての自信をもつようになった老境のマンは,かつてのような女性一般,そして母親への恐れや憎悪からはほとんど解放されていた。ムト=エム=エネトやロザーリエの情熱にとらえられた狂態は赤裸々に描かれるが,そこには女性に対する恐怖や嫌悪よりも,むしろ共感が,そして敬意すらもが漂っているのである。

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