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- 高田 信良
- 龍谷大学
書誌事項
- タイトル別名
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- "'Shinran'-Thought" as Religion(Religion as Intellectual Thought,THE PROCEEDINGS OF THE SIXTY-EIGHTH ANNUAL CONVENTION OF THE JAPANESE ASSOCIATION FOR RELIGIOUS STUDIES)
- 宗教としての<親鸞>思想
- シュウキョウ ト シテ ノ シンラン シソウ
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抄録
「宗教以前」の<私>が「宗教の中に生きている」ことを発見するところに思索がはたらいている。そのような「思想」(親鸞の「本願との出遇いを聞思する思索」)を関心事とする。親鸞は自身の「本願・念仏・信心」理解を「聞思」する(思索し、表現して語る)。歴史上の親鸞が、最初の<親鸞>思想の担い手であり、親鸞につながって念仏者となる人々(歴史的<真宗>共同体に集う人々)が(次なる)<親鸞>思想の担い手である。そのような人々が連綿と生まれ続ける力を与えているのが親鸞の「聞思」の思索である。歴史的<真宗>共同体に集う人々は、「報恩講」を営み「正信偈」を唱和するなかで親鸞と一味の「信心」理解を生きる。「正信偈」を唱える主体(一人称の主語)は、歴史上の親鸞であり、また、一人一人の念仏者である。親鸞と共に、「もつぱらこの行に奉(つか)へ、ただこの信を崇(あが)め」る人々の運動態・共同体が、宗教としての<親鸞>思想を生きる宗教運動態である。
収録刊行物
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- 宗教研究
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宗教研究 83 (4), 1093-1112, 2010
日本宗教学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390001205951524736
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- NII論文ID
- 110007580132
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- NII書誌ID
- AN00406454
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- ISSN
- 21883858
- 03873293
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- NDL書誌ID
- 10585127
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- NDL
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可