『人間失格』再論 : 父神「エホバ」と神の子「イエス」

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抄録

『人間失格』は太宰の自叙伝などではない。葉蔵は不思議なことに〈食欲〉と〈性欲〉がないかのように設定され、また、年上の女性たち(母子家庭が多い)といつも〈二階〉に漂うかのように存在している(中学の下宿、東京の下宿、シズ子のアパート、京橋のバア)。しかし、年下の唯一結婚するヨシ子との生活の場のみ、葉蔵は〈一階〉に降りて来る。その背景には福音書のイエスがいる。この場合、「父」は旧約の「エホバ」に他ならない。「父神」は現実の《リアリズム》を指向するが、「神の子」葉蔵は天上的な《ロマンチシズム》で動く。しかし、この《ロマンチシズム》は《リアリズム》に敗北する。そのような、もう一つの《陰画としてのイエス伝》、つまり昭和という《現代に降り立ったイエスの伝記》が『人間失格』というテキストである。

identifier:KG000100000289

収録刊行物

  • 京都語文

    京都語文 1 128-149, 1996-10-19

    佛教大学国語国文学会

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