公教育制度における公共性の限界と今後の展望

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  • コウ キョウイク セイド ニ オケル コウキョウセイ ノ ゲンカイ ト コンゴ ノ テンボウ
  • Limitation and Possibility of Publicity in the Public Education System

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抄録

われわれは教育という言葉を耳にするとすぐに学校を思い出す。教育作用には学校以外に家庭教育、社会教育が存在するにもかかわらず、学校が教育的営みに占める割合が大である。学校そのものは中世以来存在し続けるが、国民公教育の下での学校すなわち義務制の小学校は明治以降わずか100 年余の歴史しか持っていない。しかしながら特に日本においては人々が学校に期待するものが大であるのは事実である。学校へ行き、学歴を得れば、我々の人生はバラ色の展望が開けると長い間信じられてきた。その担い手である教師は絶対的権威を持ち、家庭教育・社会教育の機能すらも学校の教師に委ねられてきた。このように学校が国家の統制下に公共性を強化していくことが善と考えられてきたのである。しかし現在、人々の学校不信、教師不信が日々増大している。学校の公共性への疑念が生じてきている。公共性は画一化への動きと繋がる。本稿では画一化と対極にある多様性を取り上げ、公教育制度の限界・課題と展望を論述する。

公教育

公共性

多様性

学校の役割

オータナティブ・スクール

identifier:KO002200000216

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