『唯識三十論』におけるvasana

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  • Vasana in Trimsikavijnaptibhasya

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抄録

本稿では『唯識三十論』にみられるvasanaの分析を行い,Sthiramatiがこの概念をどのように用いているのか,その用語法を整理した.このテキストには主に三箇所,vasanaが主体的に言及されていた.それをまとめると以下のようになる.1)TrBh 19:業のvasanaはアーラヤ識を生み出すというのがその働きであったが,それ自身ではその働きを発揮することはなく,認識に関わるものである二取のvasanaの助力を得てはじめてアーラヤ識を生み出すことになるのである.2)TrBh 1:異熟のvasanaは,アーラヤ識を生み出すという点で,TrBh19での業のvasanaと同じ働きをしている.等流のvasanaは染汚意と転識を生み出す素材となるという実体的な側面を担いつつも,そこから生じた染汚意・転識が異熟のvasana・等流のvasanaをさらに生み出すことで次なる識転変を起こすことにつながるという点では,二取のvasanaのように動因としての働きを持っている.3)TrBh 3ab:「構想された自性に対する執着」のvasana,そして「自我などの分別」,「色などの諸法の分別」のvasanaが執受と言われている.このvasanaはそこから新たな識が生まれるという働きをもつというようには説明されておらず,純粋に認識に関わるものとして記述されている.以上に確認してきたTrBhにおけるvasana群は二つのタイプに分類することができる.すなわち(1)仮説や認識の起こる場としてのアーラヤ識・染汚意・転識を生み出す(素材となる)働きを持つvasana,(2)自己や世界に対して誤った認識をし,そしてその誤った認識に執着することから生じるvasanaの二つである.

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