「持たざる国」の資源論――環境論との総合に向けて――

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  • A Theory on Resources Claimed by a Resource Impoverished Country: Towards Integration with Environmental Theory
  • モタザル クニ ノ シゲンロン カンキョウロン トノ ソウゴウ ニ ムケテ

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抄録

<p>本稿では「持たざる国」としての認識が長く浸透してきた日本で,戦前から戦後にかけての資源論がどのように立ち上がり,展開してきたのかを検討するのと同時に,資源を明示的な考察対象に含めてこなかった環境社会学への問題提起を試みる。日本では,著しい資源の欠乏が政府によって自覚された第一次世界大戦期から終戦直後の時期に資源論がまとまった形で展開された。戦前期における「資源」の概念は,日本が「持たざる国」という自覚を海外侵略の口実として利用されていく過程で,多様な国力の源泉を総括的に動員する圧力から定着した。戦争の終結に伴いアメリカから民主的な資源論の注入を受けた日本は,一転「国民生活」の維持という目的に向けて徹底した合理化と科学技術の応用を資源政策に具現化しようとした。国力強化を求心力とした戦前の資源論とは対照的に,戦後の総合化は生活資源の切迫と災害などの脅威に駆り立てられる形で生じた。欠乏感が最も強かった時代に栄えた資源論の蓄積は,日本が豊かになる過程で勃興した環境論に生かされなかった。資源論そのものも1980年代以降,ほとんど受け継がれていない。環境社会学が,環境問題を人間と自然との相互作用として総合的に捉える学問であるとすれば,自然に対して働きかける方法を学際的に追求した資源論から得られるものは大きいはずである。</p>

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